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私、五十路手前の後藤愼一が、熊本で頑張る社長さんやオーナーさんを訪問し、創業の苦労話、これからの夢などあれやこれや聞いて、レポートします。
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2008年04月20日

屈強の警部から保育所経営者への転進、友田秀一(21)

先日コミュニティ紙を眺めていたら、「働くお母さんを支援したい~24時間体制の保育施設~マザーハウス保育所」という紹介記事に目が留まりました。社長さんは行政書士・友田秀一と書かれていました。行政書士の方がなぜ、保育所経営に乗り出されたのかと、私は早速、4/2にこの保育所を直接訪ね、受付の方に友田社長への取材を申出ました。この日はあいにく友田さんが不在でしたので、資料だけ預けて保育所を後にしました。

一週間が経ったころ、取材を受けていただけるかどうか確認の連絡を入れたところ、取材は土曜日ならOKとの了解を得、4/12にお時間をいただきました。訪問前に改めてこのマザーハウス保育所のことをネットで検索してみて、私はちょっと腰が引けました。それは最初に見過ごしていた友田さんの経歴でした。人吉市出身、1955(昭和30)年4月生まれ。そして・・・



昭和49年4月3日付けで熊本県巡査を拝命し、平成19年3月に退職するまで、そのほとんどを熊本市内警察署、熊本県警察本部で暴力団捜査部門の刑事として従事。暴力団の対立抗争事件捜査や殺人事件をはじめ各種事件捜査に従事し、その後、暴力団の武器であるけん銃の捜査や資金源となる覚せい剤など麻薬捜査の経歴を持つ。警察在籍33年の内、捜査経歴28年の経験から裁判立証のための行動確認、尾行の技術は、他社に負けぬ自信を持つ。

在籍時、各種事件の功労として熊本県警察本部長賞詞6回、(うち、優秀警察官表彰を受賞、警察庁課長賞2回、九州管区警察公安部長賞2回、熊本県警察本部長賞誉18回、その他各部長賞、所属長賞数十回を受賞。退職時、警部に昇任し、熊本県警察本部長功績賞を受賞。平成19年5月、熊本県公安委員会第100186号、第200129号で警備員指導教育責任者資格を取得。同月行政書士資格取得し、友田行政書士事務所を開業。


車を運転しているときパトカーを発見しただけで萎縮してしまう小心者の私は、これまで「刑事」と名のつく方と接触したことがなく、しかも昨年までバリバリの暴力団捜査の警察官と聞けばおのずと緊張感が高まってしまいます。そんな訳で、恐れ多くも第21回目のゲストは、株式会社マザーハウス保育所・代表取締役で行政書士の友田秀一(53)さんです。

友田さんが警察官だったということは公務員だったということです。小心者の私ではありますが、友田さんが定年を前に退官されたことについて、その事情をどうしてもうかがいたくなるところです。経歴を見ればわかるように、友田さんの警察官としての実績には非の打ちどころがありません。恐る恐るうかがった友田さんの退職理由は、一言で言えば、組織の中で生きることの難しさでした。(スイマセン、お話の内容上、ここでは詳しく書けません)友田さんは退職される前年の10月には、上司の方に退職を申出られたそうです。しかし、それは随分も前に友田さんの中では決まっていたことでした。

退職後の友田さんの計画には行政書士としての仕事に加え、「安全アドバイザー」という新しい仕事の立ち上げが念頭にありました。これまでの刑事としての経験から、刑事事件に発展するようなケースで、被害者が事前に警察へ駆け込むまでにはかなりの時間を要していることがわかっていました。一方で家裁、弁護士などへの相談もなかなか敷居が高いと思われていたことも。友田さんはこの間を繋ぐことができれば、少しでも被害者を少なくする手伝いができる筈だと思われました。それが「安全アドバイザー」としての起業になります。

そして、満を持して昨年3月に惜しまれながら退職。ご家族はさぞや安心されたことだろうと思います。これまでの切った張ったの命がけの仕事から解放されたのは友田さんご本人だけでありません。ご家族こそ、これから初めての平穏な生活がその日から始まるのです。退職後の行政書士としての仕事は、これまでのお付き合いから企業の顧問契約の話もあり、順調なスタートでした。

友田さんが行政書士として独立して人脈を拡げておられたそんなある日、二人の方から友田さんに声がかけられました。株式会社阿蘇ナチュラル・Jファーム、代表取締役の森光臣さんと熊本県医師会・婦人の会・副会長で日本エジプト協会熊本会長の西郷澪子さんでした。お二人のお話は、既に設立されていた、シングルマザーを中心とした働く母親支援を目的とするテイクアウトキッチンの建て直しに一役かって欲しいというものでした。

聞けば、テイクアウトキッチン事業と保育事業を両立させたいということで始められたのですが、コスト問題などが大きく立ちふさがり、いったんテイクアウトキッチン事業を撤退し、保育事業に特化した形で再開することになったということでした。お二人からの要望は、友田さんにこの事業の経営責任者になってほしいというもの。友田さんはいきなり経営者になってくれと要請され、戸惑います。

ご家族に相談されたところ、大反対。よそ様の子供を預かるということの責任は、暴力団と対峙すること以上に重いものだということを切々と訴えられました。ご家族にとっては、やっと平穏な暮らしが始まると思っていた矢先だけに、ひと様の幼子を預かるという新たな緊張感は精神的に大きな負担です。友田さんにも家族の心配は理解できますし、むしろ自分自身が経営者としてやっていけるかどうかの不安の方が先立ちます。唯一の関係といえば、お姉さまが長年保育士であったということだけでした。

そこに第三の人物が現れます。九州柳河精機㈱会長で菊南運輸倉庫㈱会長の杉田貞治さんです。友田さんは杉田さんの話を聞きながら次第に就任への気持ちに傾いていきました。杉田さんから出る話は、退官後も友田さんが思い描いていた弱者への支援という理念に通じるものでした。そして、杉田さんからの次のことばが友田さんの心を打ちました。それは「見返りを求めない奉仕の心で取り組んでくれませんか」という一言でした。

「全国初となった慈恵病院の『こうのとりのゆりかご』がありますね。同じ熊本県民としてこの問題を重く受け止め、私たちにも何かできないかと考えたとき、働くお母さんの子育てを支援することを志して設立されたのがこの保育所です。私に声がかけられたのも何かの縁と、挑戦することを決めました」。

「子供は悪さをするために生まれてくるのではありませんね。私は、長年暴力団の連中と接してきましたが、彼らももとを糾せば赤ん坊だったわけで、幼児教育に遡ることができます。ということは、お母さんが子供に対して愛情を惜しみなく注げるような環境づくりのお手伝いをすること、つまり母親支援をすることが健全な子育てにとって最も有効なのだと思ったわけです」。

そして、今年の1月、友田さんは(株)マザーハウス保育所の代表取締役に就任されました。年中無休の24時間運営体制。急な用事で子供を預けなければならなくなったといった場合にも対応できといいます。体験入所も随時受け入れ可能。何しろ24時間体制です。その施設の最高責任者が友田さんです。それだけに就任当初の友田さんは寝付かれなかったそうです。



0歳児から小学生までの預かりと保育。料金は1日預かり(8時間)1600円から、昼夜の月決め2万円からで、年齢によって変わるシステム。これから同保育所では、手作り給食などを通じて食育にも重点を置いていく予定。これは、ドイツ国際食肉加工見本市( 2002)における国際コンクールで数々の金賞を受賞している株式会社阿蘇ナチュラル・Jファームが責任を持って提供していかれます。また、将来的には、英語、音楽を取り入れた情操教育も導入する計画とのこと。

マザーハウス保育所は、旧ブライダルマリエビル全フロア(1~6階)を活用しています。各フロアの床面積は約80㎡で、1回は受付及び0歳児用託児スペース、2・4階はプレールーム、3階は厨房と食堂、5階は保健室とプレールーム、6階は会議室及び職員事務室と、とにかく広いスペースです。現在は60名近くの契約ですが、このキャパシティからすればまだまだ余力があります。

さらに保育士の方々も募集中です。5:00~12:00、12:00~20:00のいずれかで働ける方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか?現在は7名の方が勤務されています。「保育園自体が今年1月からのスタートですから、職場としての環境や制度をこれから作っていくことにやりがいを感じられる人なら積極的に採用したい」と友田さんは話しておられました。

今回のインタヴューでは、友田さんの前職時代の武勇伝も数多くお聞きしましたが、残念ながらここでご紹介することはできません。長年暴力団と対峙されてきた警察官としての屈強さを感じ入りながら、(株)マザーハウス保育所の社長としての友田さんの印象は、実に穏やかで腰の低い方。しかし、シングルマザーをはじめ、弱者を守るという友田さんのミッションは今も変わらずに続いているのでした。


㈱マザーハウス保育所
〒860-0803
熊本市新市街13-19
TEL&FAX 096-351-6400
http://www.tomokk.com/24hhoiku.html
  
Posted by エントワークリンケージ at 11:48
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2008年04月15日

からだから人生の看護へ、FP広瀬美貴子の挑戦(20)

第20回目のゲストは、㈱Fineプロデュース代表取締役・広瀬美貴子さん。広瀬さんのことはFMKに出演されていた番組を聞いて知りました。そのとき、子供たちに金銭教育、キャリア教育を施すことの重要性について、「世の中のすべてにおける分野で、自分で気づき・考えて・行動する教育。世の中のことを伝える教育が必要で、学校と家庭と地域との連携、家庭が社会へ巣立つための経験の場となるような親子のかかわりやコミュニケーションが大切」だという思いを語っておられたのが印象的でした。

いつかはお会いしたいなと思っていたころ、第17回目のゲスト・西田ミワさんにお話を伺った際、西田さんから尊敬する女性としてご紹介を受けたのがその広瀬さんでした。また、そのときにいただいた「夢を形に・起業家たちの人間力」という本に、前回の江浦誠さんと一緒に執筆陣の一人として登場されていたのが広瀬さんでした。不思議なご縁です。そして、お会いする前にHPや本などでご経歴を拝見してみて、その縦横無尽な活躍ぶりに目を見張ったのでした。



広瀬さんの現在の肩書きは、次のようになっています。「ファイナンシャル・プランナー」、「金融知力普及協会認定インストラクター」、「キャリアカウンセラー(JCDA認定)」、「産業カウンセラー」、「FP協会熊本県支部幹事」、「熊本県金融広報アドバイザー」。掲載記事を読むと、広瀬さんの職業人としてのスタートは看護師となっていました。一見すると全く畑違いのこれらの肩書きがいつ、どんな経緯で移り変わっていったのか、関心が高まったのでした。

広瀬さんの詳しいご経歴、事業の内容についてはリンクを張ったHPやパブリシティなどで後程確認していただくとして、私の興味は、看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯と、これからどんな方向へ進まれようとしていらっしゃるのかということです。今回、学校での講演やワークショップで連日ご多忙の中の一時間をいただきお話をいただきました。

広瀬さんは高校卒業を前にご両親から県立大学への進学を薦められますが、心中秘かに「東京に行きたい」という思いを募らせていた広瀬さんは、心臓病で長く苦しんだお兄様へとの関わりと、東京にあって全寮制、奨学金支給という魅力もあいまって看護師を志すことに決めます。品川区五反田にある関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)附属高等看護学院への受験を願い出て、ご両親の承諾を得られました。そして、13倍の難関を突破し見事に入学を果されます。



25年前の当時、関東逓信(ていしん)病院は日本で最先端のシステムを導入していて、すでにコンピュータ化もかなり進んでいたそうです。また、授業では講師陣も優秀な先生方に学び、看護も医療チームの一員としての役割を実践で学ばれました。学院卒業後は、看護師として勤務早々ながらも9日間の休暇が与えられ、この休暇を使って海外旅行を経験されたりと、申し分のない社会人としてのスタートでした。折りしも二年後、小学校の同級生だった彼が大学生として上京して来て再会。ここで大人の恋も芽生えます。このときの大学生は、後のご主人です。

しかしながら、この世の春は、咲き誇る桜の花が瞬く間に散りゆくように、そう長くは続きませんでした。お父様が突然倒れられて、熊本へ帰ることを余儀なくされたのです。憧れの東京での暮らしはあえなく三年間で幕引きとなりました。同時に、彼との都合四年間の遠距離恋愛の始まりでもありました。後ろ髪を惹かれる思いで熊本に戻った広瀬さんは、熊本赤十字病院に就職されます。

熊本赤十字病院といえば県内でも屈指の病院ですが、当時でも県内では先端の病院であったはずです。しかしながら、広瀬さんが東京で勤めていたのは日本で最先端の病院でした。この二つの病院の医療体制の大きな隔たりを前に広瀬さんは愕然とします。東京では看護に専念できた日々でしたが、熊本では休みを取ることもままならい忙しさに加え、看護以外の事務作業が追い討ちをかけました。(あくまで当時の話です)広瀬さんの中で、カルチャーショックと看護師が医療チームとして認めらないことへのストレス、そして体力的な消耗が、看護師としての希望を次第に失わせていきました。

「自分にとって看護師という職業は一生続けていける仕事なのだろうかという疑問がわいたんですね」。この間、広瀬さんの中で、お父様が40歳で起業されていたこともあって、組織の中で仕事をするよりも、自分で起業したいという思いが芽生えだしました。「漠然とでしたが、私も40までに起業をしたいなと思うようになったんです」と。

そんな鬱屈とした日々の中で、意中の彼が熊本の銀行に就職を果し、戻って来ました。長かった遠距離恋愛が一気に燃え上がり、平成2年2月に結婚。広瀬さんは、ご主人の意向もあって結婚退職の道を選ばれます。その後三人の子宝に恵まれ、専業主婦の生活を過ごされますが、三度目の出産後にご自分の今後の人生に目を向けられるようになった広瀬さんは、簿記とコンピュータの勉強を始められます。

結婚から6年後、広瀬さんは、とある小さな株式会社に勤めることになります。そこで、総務・経理・労務を担当する中、社内の若者たちの多重債務状況とそのかかわりを通して、金銭教育の必要性を強く意識されるようになりました。元看護師としての職業的意識が、心の医療ともいうべきカウンセラーへと変質して芽生えたのがこの時期でした。

「『金銭教育』をするためにお金のプロになりたいと思ったときに知ったのがファイナンシャル・プランナーだったんです」。この資格を取るための勉強の時間を作るために仕事もパートに切り換え、車を使う営業の仕事をするようになられます。「遠距離を走る仕事でしたが、私にとっては車の中でテープを聴きながら勉強できたいい時間でした」と楽しい思い出を話すように語られましたが、夜は子育てが終わって11時頃まで、朝は4時起きという五ヶ月間に及ぶ勉強を続けておられました。

「夜11時頃に寝ることが質の良い睡眠になるというので、それなら4時起きでもいけるかなって思ってやってました」。この成果あって、念願のファイナンシャル・プランナーの資格を取得。次に、自分が伝えたいことをきちんと相手に伝える技術の必要性を感じた広瀬さんは、「NPO法人金融知力普及協会認定インストラクター」養成講座も受講をしました。「自らの活動の中で、セミナーを開催するときに必要となる、効果的に話す方法や、アイコンタクトのとりかた、質問の投げかけ方やシナリオの組み立て方などを学ぶことができました」。目標に向かって一気に邁進する広瀬さんの行動力に脱帽です。

しかし取得直後の活動は思うようには進みませんでした。「金銭教育の活動をしたくても無名だったため、活動の場がありませんでした」。そんな中、初めは、自分がやりたいと思っている方向性と同じ内容について開催しているセミナーやワークショップに手伝いとして参加したり、チラシ配布やDM発送などきっかけを掴むための地道な努力が続きます。

そんな中、九州の金銭教育では草分け的存在の方のセミナーに参加したことがきっかけでその方のサポートをするようになられます。その後、講師を任されるようになり一人で鹿児島や沖縄に飛び回る日々を過ごされます。そして、資格取得から1年半ほど過ぎたころ、初めて訪れたチャンスが、お子さんが通う学校のPTA主催の「金銭教育」のセミナーでした。

そして、2004年12月、念願の自主開催でのワークショップを企画・開催。以降ワークショップを続け、その都度プレスリリース(ニュースリリース)をいろいろなメディアに送ったところ、後にメディアからの取材につながり、新聞に取り上げてもらうなど、広瀬さんの名前と活動が少しずつ認知されるようになりました。9月に投げ込んだDMが半年後のレスポンスに繋がりました。

この雌伏の日々の活動が、厳しい寒さに耐えた桜の蕾が時期を得て力強い花を咲かせるように、広瀬さんのもとへ様々なオファーを舞い込ませました。「市の登録講師となり、県の金融広報委員会からの依頼で金融広報アドバイザーになり、市の総合女性センター、公民館などで講師をさせていただくなど、活動の場が拡がりました」と。



広瀬さんの活動実績を見ると、学校関係のセミナーでの講演が実に多いのですが、ここでの話は次ぎの信念に根ざした内容になっています。

子供たちが手にするお小遣いはどこから来るのか?それはもちろん、ご両親の収入からです。言いかえればご両親の『稼ぎ』の中からです。この『稼ぐ』ことの意味を問いかけなければいけないと思っているんです。つまり、金銭教育とキャリア教育は車の両輪なんですね」。

現在、広瀬さんの視線は学生から社会人へと広がっています。「より良く働く人のための支援は、結果的に企業収益の向上につながるんです。ストレスを抱えて保健室で過ごしてきた子供たちが、将来社会人になったときにストレスを発散する場がない。そんな場を提供していきたいんですね。企業へのカウンセリングと人材教育のアウトソーシングを目指しています」。

広瀬さんから「EAP」という言葉を聞きました。「Employee Assistance Program」の略で、「従業員のメンタルヘルス対策支援。社員が抱える職場や家族、健康に関する悩みへの相談を受け付ける体制作りのこと。生産性の向上や優秀な人材の離職防止といった効果がある」手法です。

EAPの具体的な活動内容には、(1)社員の啓もう、(2)電話や電子メール、対面によるカウンセリング、(3)部下との接し方やストレス除去法の教育研修、(4)専門医への紹介などがあります。上司が問題意識のない社員を相談に行くように促したり、気軽に社員が相談できる体制作りまで実施する点が特徴。EAPを導入すれば、社員の欠勤や医療費の削減につながります。さらに、社員の悩みを無くし快適に働ける職場作りをすることで、生産性を向上したり、優秀な人材の流出を阻止するといった効果も期待できます。(日経情報ストラテジー2002/10/29)

実際、カウンセリングの資格を持ちながら、この資格を活かせない方々が少なくないといいます。広瀬さんの目標は、県内の企業経営者に、従業員の方々のストレスを解消することで結果的に収益につながるということを理解してもらい、こういったソフトへの投資を活発化させること。そうすることで潜在カウンセラーたちの活躍の場を提供することにもつながるという狙いです。

さらに、広瀬さんの視線には企業の資金調達の支援活動も入っています。「現在、公的機関による助成金をはじめ、経済産業省や中小企業基盤機構などの様々な機関、財団等から出されているもので、実は3,000種類位あるんですね。ただこうした制度について余りにも情報不足です。特に中小企業にとっては返さなくても良い資金である助成金の存在は貴重な財源です。もちろん所定の審査はありますが、内容によっては数千万~億単位の助成金を受けることも可能なんです。私たちはこの助成金獲得への書類作成などのサポートができます」。

三年後の広瀬さんはどうなっているのかをご本人に尋ねてみました。「仕事をとってくるのが経営者の本質だとしたら、私はそうした経営者にはなれないと思います。自分の手や言葉で直接関わって行きたいんです。そういった意味では、三年後も今と同じ。それに加えてコーディネーターをやっているかもしれません。カウンセリングのアウトソーシングを実現したいんです」。

私が広瀬さんを知ったFMKの番組で司会者が広瀬さんに「社会の看護師みたいですね」と言ったことが、「ちょっぴり嬉しかったですね」と話す広瀬さん。冒頭で私は、「看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯」と書きましたが、広瀬さんにとってそれは「転進」ではなく、「階段を上る」ことだったんだなと思うようになりました。それは、「からだの健康」から「こころの健康」の看護への夢の途中なのだと思うようになりました。

最後に「県知事になれと言われたら何から手をつけたいですか?」と唐突な質問を投げかけてみました。「んー、やりたいことはたくさんありますが・・・。まずは、中学校教育の現場改革ですね。社会につながった教育改革。キャリア教育のできる先生を増やしたいですね。金銭教育、キャリア教育、法教育、食教育、環境教育などは産業界や法曹界、専門家などとの交流が大切です。これまでの教育界の垣根を取っ払って、社会に繋がった教育を実現したいです」と、そのお応えには全く迷いがありませんでした。



週末は阿久根、都城への講演活動に向かうという広瀬さん。今後の更なるご活躍に期待します。そして、蒲島新知事に、広瀬美貴子さんを政策ブレーンとして採用されることをお奨めして、終わります。

<株式会社Fineプロデュースの理念>
Fineな人生  働く人々に、イキイキとした自分らしい仕事人生をプロデュース
Fineな企業  がんばる企業に、人的資源・資金・信用力アップをプロデュース
Fineな社会  働く人と企業のFineで、より良い社会の実現を目指す!

株式会社Fineプロデュース 広瀬 美貴子
〒860-0085 熊本市高平2-25-45日進ビル302号
Tel 096-346-0611 Fax 096-346-0610
E-mail info@fine-produce.co.jp

All Aboutメールマガジン「フォーエル」連載記事「話題のおシゴトに就きたい」
http://forl.allabout.co.jp/L/popularjob/060503/lr04305/  
Posted by エントワークリンケージ at 05:22
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2008年04月08日

天草に雇用創出を!FP・江浦誠(19)の挑戦

先日、第17回のゲストにお迎えした西田ミワさんからいただいた「夢を形に・起業家たちの人間力」という本を読んでいたら、この本の執筆者のお一人の文章に、「生まれ育ったふるさと天草に雇用創出をする!」という力強いタイトルを見つけました。その文章を読んでみると、サラリーマン時代から独立を夢見ながらも、起業するまでの悶々とした思いとその葛藤を淡々と綴りつつ、故郷・天草に対する思いが溢れていました。



これはもっと話を聞かずにはいられないと、自称「夢追いインタヴュワー」の私はさっそく江浦さんにコンタクトを取って、ご多忙中をぬって時間を割いていただきました。そんな訳で、第19回のゲストはFP江浦事務所のファイナンシャルプランナー・江浦誠さん(47)です。辛島町にあるオフィスでお話を伺いました。外は雨模様でしたが、爽やかに応対していただきました。



江浦さんは、天草町高浜の生まれ。天草西高卒業後、現・学園大に入学されます。学生時代にアルバイトをしていた求人誌発行会社にそのまま就職された後、広告代理店、不動産会社を経て、平成8年に友人が立ち上げた生保代理店に参画されました。この代理店は、保険業法改正を見据えて立ち上げた、全国でも画期的な、30数社取扱の乗合代理店だったそうです。創業から丸3年間、最後の一年は熊本の責任者として勤務された後、別法人で組織された代理店に勤められ、生保代理店業10年を迎えた平成18年7月21日に満を持して独立されました。

江浦さんには学生時代から抱いていた二つの思いがありました。「求人誌の営業ではお客様の経営者と商談することが多いのですが、情熱あるお話しを聞いているうちに自分も経営者になりたいと思ったんです」というおぼろ気ながらの「思い」。そして、「学生時代に帰省したとく、高校時代の後輩がとあるきっかけで縫製会社を起こして立派に地元で雇用貢献をしていたことを知ったんですね。自分もいずれは天草の雇用創出に何らかの貢献をしたいと思っていましたが、彼は既に地に足がついた形で実現していて、これも立派な貢献なんだなと気づいたんです」というなんらかの形での貢献をという「思い」。

とは言え、「いつかは起業したい」、そして、「いつかは天草への雇用創出に貢献したい」という漠然とした思いは、なかなか具体的な活動には至らなかった江浦さんでした。しかし、目の前の仕事をこなしながらもこの間に、テープが伸びるほど聞きまくったという自己啓発テープの一つがありました。それは、竹内日祥という住職の「社長・経営幹部のための特別講話乱世を生き抜くリーダーの条件」。

この収録時間、二時間というテープの中の一節が江浦さんの潜在意識に入り込んでいたのでした。その一節は、「まず、旗を揚げること。旗を揚げることによって、周りに知らしめることが肝要だ」という内容だったそうです。私は不勉強で、この竹内日祥上人なる方を存じ上げませんでしたので、ちっと調べてみました。



竹内日祥上人;1947年、神戸市に生まれる、立正大学仏教学部卒業後、日蓮宗妙見閣寺住職となる。上人の講演は、仏教思想を 現代に即応した表現で、独特な弁舌と明解な切れ味の良い論理に乗せて、さわやかな中にちょっぴり深刻な上人の生きざまをのぞかせて、感動を与えると定評があります。特に上人は経営トップの指導と企業幹部の人材育成に強烈な影響を与え、大変革時代の方向と、戦略の原点を的確に示し、混迷の乱世を勝ち抜く価値観の集団的転換(パラダイム・シフト)を徹底的に解明。年間講演回数は、200回に及び、すべての収益は国際永久平和祈念祭典の資金の一部に充てられています。

その後、生保代理店としての仕事は決して順調とは言えず、江浦さんの起業への思いはその一歩を踏み出すことを躊躇させていました。そんな折、ある先輩からの質問が江浦さんの悶々とする思いに火をつけました。それは、これからの人生においての「60歳からの引き算」です。江浦さんの中で15年もあると思っていたその「時間」は、実質的な稼働時間で言えば、その1/3しかなかったことに気づいたのです。「好きな時に好きなことを好きなだけやる」には今しかないと、このとき江浦さんの起業家としてのエンジンは回転し始めました。

そして運命が動き出しました。先述の「夢を形に・起業家たちの人間力」への執筆依頼の話が本書の編著者である中尾吉宏さんから舞い込んだのです。起業して、ある意味さっぱりした気持ちになっていた江浦さんは、この話を受けてから原稿を苦もなく書き始め、締め切りのかなり前に原稿を仕上げたそうです。一方、他の執筆者の方々が締め切りを過ぎてもなかなか仕上がらない中、中尾さんが来熊されるという機会がありました。そこで江浦さんは原稿では触れなかった天草への思いを語ったそうです。すると中尾さんは、「この前の原稿、没にします」と一言。江浦さんは焦りました。その後、中尾さんから継いで出た言葉は「その話を書きましょうよ」と。

書き直した原稿には「天草で仕事をしよう、天草に雇用を創出しよう、天草を盛り上げよう」という思いが綴られることになりました。そして、そこでこの思いを形にして公然とその旗を揚げることにしました。それが、「天草倶楽部」の設立になりました。記念すべき第一回は今年1月24日に行われました。この第一回には前述の西田ミワさんも途中から出席されていて、そのときの模様を次のように書いておられます。



講師の方も含め、8名でスタートした茶話会では天草の現状…雇用、過疎化、小児科・産婦人科の圧倒的不足高齢化(若者の流出)、シャッター街などの現状報告がありこれらをどう食い止めたらいいのか地域資源は何かなどが話題の中心になりました。(じかに聞くとニュースでは得られない切実さが伝わってきます)

ある参加者は、ママさんのネットワークを強化したとえば、病院・子育て情報をITを活用し共有する活動をすでにはじめておられ、ある参加者は、他の地域での成功事例を紹介され、ある参加者は、「とにかく、なにをどうお手伝いできるかわからないけど、天草の魅力を発信していきたい。」と熱く語っておられました。

西田からは、世の中の傾向や興味深い慣例など事例を紹介。参加者の中には、ユニークなキャラと活動に注目があつまり質問攻めになる一幕もあり、会場は大盛り上がり(笑)厳しい現状のなかでも、良い風が吹きそうな予感がします。これから3ヶ月に1回ほどのスパンで天草倶楽部交流会は実施されるそう。私は熊本市内在住ではありますが、同じ熊本県民ですし、彼等の活動のお手伝いしていきたいと思ってます。(http://tabineko.otemo-yan.net/e65557.html


江浦さんは、この「天草倶楽部」を立ち上げてみて、わかったことがあるといいます。それは、天草を再生させたいと活動されている方々はたくさんいて、組織されたグループ、コミュニティも決して少なくないということでした。「私は、この倶楽部が先頭に立ってこれらの方々を引っ張りたいという気持ちはさらさらありません。この倶楽部がそれぞれの活動にどう繋がっていけるのか、これからそれを模索していきたいと思っています」と、謙虚に語られました。

また、「この倶楽部を立ち上げて、いろんなところで天草に対する思いを語っていくうちに、聞いて頂く方々の食指に触れるのでしょうか、相手の方も熱く語ってくださる方が多いんですね。先日もお客様との商談の後この話になって、お客様は地元への思いを二時間も語られました。お客様は天草の方ではありませんでしたが、今後もこの倶楽部を応援していただけるということでした」。

江浦さんの当面の雇用創出への活動は、自らが地元の企業を創出するということではなく、まず、この「天草倶楽部」を通じて参加者への知的啓発とビジネス・マッチングの模索にあります。「目下、手弁当での開催だけに、講師陣の方々にはボランティアでお願いせざるを得ません」とのこと。

天草へ熱い思いをお持ちのコンサルタントやご専門の方、あるいは、そんな方をご存知の方は江浦さんへのご紹介をお願いします。第二回目の「天草倶楽部」は今月17日(木)に開催されます。天草にお住まいの方、天草ご出身の方、あるいは天草の発展に力を貸したいという方は、ふるってご参加ください。

<第二回 天草倶楽部」>
場所;天草宝島国際交流会館ポルト
住所;天草市中央新町15-7 旧ニチイ跡
時間;受付開始/13:15、開会/13:30
勉強会/13:35~14:35、交流会/14:40~15:40
会費;ワンコイン500円(飲み物込み)

勉強会講師:田中美智子さん(久留米でご活躍の「営業プロデューサー」)
HP:http://of-tanaka.com/
ファーマーズスタジオ;http://far-s.com/

主催/天草倶楽部
連絡先/096-367-9276
090-4343-7707(江浦誠)
「天草倶楽部コミュ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2887514

上記の他の江浦さんへのアクセスは下記です。
E-mail;meuraster@gmail.com
URL;http://blog.goo.ne.jp/9sugo/http://sugo.otemo-yan.net/  
Posted by エントワークリンケージ at 13:43
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2008年04月05日

イタリアで認められた、皿に絵を描く料理人・古畑圭一朗

今回は、番外編をお送りします。先日、深夜にふと見たテレビ。鹿児島は大口市出身の古畑圭一朗さんという、イタリアで3年連続でミシュランから星を獲得するシェフのルポでした。その感想を別のブログで書いたところ、今朝、ご本人から次のようなコメントが帰ってきました。

■本人です(笑)
はじめまして、偶然ネットサーフィン中に発見してしまいました古畑です。びっくりしました(笑)ブログに取り上げていただいていて。沢山の方から反響がありましてうれしい限りです。鹿児島では再放送も決定いたしました。4月18日(金)25:05~26:05 KTS 鹿児島テレビです。これからもどうぞよろしく。CIAO!!




古畑さんのこうした気配りが彼の人間性を表していますね。この番組、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、見ていないという方に、そのときのブログの記事を転載します。ちなみに、トスカーナは、「イタリア半島の北部に位置し、シエナ、ピサ、フィレンツェなど魅力的な古都が数多く存在する。ユネスコ世界遺産の数も多い。農業が大変に盛んで、ワイン、オリーブ、小麦などを生産している。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地」だそうです。



昨日(3/30)、九州ドキュメンタリーとして放映されている番組で昨年12月2日に放映された、KTS制作の「Buon Buon Buon」~皿に絵を描く料理人・古畑(こばた)圭一朗~の再放送を見ました。古畑任三郎ではありませんよ。イタリア・トスカーナにある「IL PATRIARCA」でシェフをまかされて、3年連続店の星を維持し続けている鹿児島出身の古畑圭一朗さんです。番組HPでは次のように紹介されています。



日本人の食生活にすっかり定着したイタリア料理。そのイタリア料理を学ぼうと、日本から毎年2000人以上の見習いコックがイタリアを訪れるという。しかし、そのほとんどは半年から2年ほどの短期で日本に帰ってしまう。「イタリアで修行」、その経歴は日本では大きな武器になるからだ。そんな中、あえてイタリアに残り勝負を挑み続ける日本人シェフがいる。その男の名は、古畑圭一朗(35)。鹿児島県大口市の出身。もともとはコンピューター業界のシステムエンジニア。ふとしたことがきっかけで料理の世界に飛び込んだユニークな経歴の持ち主だ。



古畑がつくる料理は、まさに芸術品。それが高く評価され、3年連続でミシュランから星を獲得。古畑がシェフをつとめるレストランは、イタリア・トスカーナ地方のとある田舎町にある。その地位は古畑が「技術・知識・人間性」すべてにおいてパーフェクトだと語るイタリア人シェフ、サルバトーレ氏から認められ、譲り受けたものだ。その時にサルバトーレ氏が残してくれた言葉が「皿に絵を描け」。そして、古畑の夢は、いつの日か恩師サルバトーレ氏を越えること…。


大口市といえば鹿児島でも熊本県人吉市などや宮崎県えびの市との県境で、鹿児島市内から車で2時間ほどの位置にあります。私は前職時代、多いときには月に一度は行っていたところですが、仕事で自治体に行く程度ですから観光はしたことがありません。そう言えば吉田拓郎さんはここで生まれたのではなかったでしょうか?

古畑さんの凄いところは、後述のプロフィールにあるように、料理の世界に入ったのが22才からで、渡伊後5年で一流シェフになったことでしょう。料理の世界、特に日本では一流と呼ばれるまでには数十年かかるものと思っていたので、このキャリアには驚きです。ちなみにこの写真は、「アンコウとファアグラの詰め物、サフランソース。アンコウを一晩マリネして臭みを抜き、鴨のフォアグラをスティック状に刺し、豚の網油で巻き焼き・蒸し揚げる。サフランソースと茹でた野菜を共に」(古畑さんHP)ですが、番組でも紹介されていました。



さらに、この一枚はスイカの彫刻。見事です。古畑さんは、イタリアでミケランジェロなどの彫刻に魅せられたといいます。料理は味に加え、目、香り、食感で楽しませる総合芸術と言ってもいいわけですから、師匠の「皿に絵を描け」という言葉をしっかり受け継いで、自分の表現手段としての料理に結実させているのですね。番組では大口市に帰省した古畑さんがイベントで氷の彫刻を彫っていたところも紹介されていました。



KEIICHIRO (プロフィール);1973年 鹿児島生まれ。鹿児島某専門学校卒業後、SEとして上京するが、ふとしたきっかけから大手町のイタリアレストランへ入店。3年後、渡伊。98年秋より、ローマのレストランで修行を始める。半年後トスカーナ州のレストランへ。のち、モリーゼ州、ウンブリア州などのレストランで働き、99年秋、現在の「IL PATRIARCA」へ入店。各担当をうけもち02年にセコンドシェフへ昇格。03年、「IL PATRIARCA」はミシェランから星を獲得。05年よりシェフを任されている。



http://happytown.orahoo.com/sasuraichef/
  
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2008年03月31日

世界を目指す熊本在住の若き画家・遠藤徳人(18)

第18回目のゲストにお迎えしたのは、第四回目のゲスト・黒田恵子さんがご自分のギャラリー「ADO」での個展開催などで支援する画家・遠藤徳人(とくひと)さん(24)です。遠藤さんと最初にお会いしたのは2月1日、黒田さんのギャラリーでした。1月22日に最初に「ADO」にお邪魔した際、二階にあるギャラリーで遠藤さんの絵をはじめて見ました。そこに飾られた墨絵調の昇り龍、原色をふんだんに使った龍、抽象的なPOPアートなどなど様々なタッチが印象的でした。

遠藤さんはこの3月、黒田さんのご紹介で取材させていただいた第七回目の渡辺真希子さん、第八回目に登場いただいた「人間建築探検處」の代表であり、建築家の長野聖二さんが代表を務められる「河原町文化開発研究所」のある河原町商店街の住人となりました。今回は、このブログとのカテゴリーとはちっとはずれますが、そんな訳で黒田さんのギャラリーでのインタヴューをお送りします。



遠藤さんに初めてお会いしたとき、彼の分厚いポートフォリオ(作品集)を見せてもらいました。そこにも実に多彩なタッチの絵が並んでいて、その一連の絵に興味を持ちつつ、そんな絵を描く彼自身についても興味がわいたのでした。その中で一際印象的だったのが「ミスターCLOUD」というキャラクターでした。

絵を描き始めた当初、彼の頭の中にこのキャラが突然現われたそうで、何枚もの絵が描かれていました。今回は残念ながらこの「ミスターCLOUD」を紹介できませんが、遠藤さんによると「このキャラは絵に対するモヤモヤした気持ちの表れだったような気がするんです。ですから最近はほとんどこのキャラ自体を描くことはありません」ということでした。しかし、最近は別の角度で自分を見つめ直すことが多いと語る遠藤さん。絵に集中し、自分の世界を描き出す「自分」と社会人としての「自分」の存在。その自分の中のバランスをどう取っていくか?それが今の彼の課題だと。



絵画という方法で自分を表現しようとするアーティストにあれこれ言葉で語ってもらうということに果たしてどれだけ意味があるのか?今回はここに自分なりに疑問を持ちながらインタヴューに臨みました。そんな思いでいた私は、黒田さんにまず、これから遠藤さんに何を望みますかと尋ねてみました。「絵で人の心を動かせないうちは、人として当たり前のコミュニケーションが取れることが大事なことだと思います。遠藤君がそうだということでありませんが、自分の作品を人にきちんと語れる画家になってほしいと思います」と、私の疑問を知ったかのようなコメントをされました。そう言えば岡本太郎さんや日比野克彦さんでさえ実に饒舌に語っているではありませんか。少し気が楽になった私のインタヴューが始まりました。



遠藤さんは開新高校出身。幼い頃から漫画家に憧れて絵を描いてきた彼は、熊本デザイン専門学校に通ううちに画家の道を進むことを選んだといいます。私の年代になると開新高校と言われてもピンときませんが、前身は熊本第一工業高等学校。更に遡ると、熊本鉄道高等学校、明治37年の東亜鉄道学院に行き着くんですね。平成16年に男女共学になっていますから、創立から丸100年間男子校としての歴史を歩んできています。話が逸れました。

絵描きの道を選ぶと言っても、プロとしての画家は当然ながら棘の道。遠藤さんは一時期、就職することも考えたそうですが、就職を決めた途端に大病に遭ったり、再び絵描きを諦めかけたときに知人から個展を開かないかという誘いがあったりと、彼が絵を諦めようとする度に運命が遠藤さんに画業を捨てさせなかった経緯がありました。

絵を描きつつ遠藤さんはずっと「自分らしくある」ことについて思い悩んでいたといいます。人と同じ考え、行動をとることに対する閉塞感がありました。この問題に自分なりの決着をつけられたのが、昨年訪れたアメリカで、そこに暮す人々の日常を知ってからだったそうです。シカゴ、コロンバスを友人とホームステイをしながらの二週間の旅で、現地の人々が自由に自己を主張しながら生きる姿を目の当たりにして「あぁ、こうやって自分らしく生きていいんだ」と自信を持ったそうです。



そんな遠藤さんが絵を描くときに常に考えていることは、ある二つの価値観をどうやったら一つに融合できるかということだそうです。たとえばそれは母親の価値観と父親の価値観。双方共にその価値観を理解できる。そこでこの二つの価値観を掘り下げていく事によってその源泉的な価値観、1+1が別の新たな「1」になるという価値観を導くために思索すること。別の言い方をすれば、卵子と精子が一つになって新しい生命となるというプロセスと結果をどう表現するか。そこに彼のアーティスティックな営みがあります。

遠藤さんは最近この河原町にアトリエを持ちました。「これからは気が狂うほど描きたい」と熱く語ります。このアトリエで6月1日から二週間にわたって開かれるギャラリーADOでの個展に向けて、作品を作り上げていく予定です。魂を込められた作品だけをここで展示したいと語ってくれました。その個展ではライブ・ペイントも披露する予定です。

先日もクラブでライブ・ペイントを行ったそうです。クラブの音楽のテーマが「男が女を口説く」というものだったので、彼の得意とする陰影技法でこのテーマを受けて抽象的な人物を描いたそうですが、「今年一番の自信作っすよ」とご機嫌でした。この絵はまだ会場に残してあって、この日は見ることができませんでしたが、6月の個展には登場するはずです。

遠藤さんに目下のライバルは誰ですか?と尋ねてみました。「art horymen、ado(渡辺真希子)さん、eichiさんには少なくとも負けたくありません。でも、熊本の画家たちの中でも、この河原町に集るアーティストたちのレベルは高いっすよ。マジッ、ヤバイッス」。訳してもらうと、ここに集まるアーティストたちは、趣味や癒しで絵を描いているのではなく、哲学をもって絵を描いている人が多い、ということでした。

最後に黒田さんに遠藤さんの絵について語ってもらいました。「タッチがどうとか、色彩がどうかということではなく、彼の絵に、とにかく『勢い』を感じたんです。彼にはまず絵を通して、たった一人でもいいからその人の心を動かすことができる絵描きになってほしいですね。自分の中で悶々としたものがあれば、その息吹を一枚の絵に入れ込んでほしい。自分のフィルターを通して蒸留水のように浄化した思いを描いてほしいと思っています」と、熱い叱咤激励でした。



遠藤徳人さんへのアクセス;
TEL;080-5214-0740
Emai;art-style.89wrangler@ezweb.ne.jp、cluodtoku@yahoo.co.jp

<遠藤徳人個展>
日時;2008年6月1日~14日
場所;「GALLERY ADO」;熊本市河原町2 
TEL;096-352-1930(OPEN;11:00~20:00)
http://www.just.st/303750
  
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2008年03月18日

実と虚の空間を回遊するドルフィンワークス・西田ミワ(17)

全国商工会議所女性会連合会が、平成14年に創設した「女性起業家大賞」という顕彰があります。同賞は、「創業・経営革新に果敢に取り組んでいる女性起業家を顕彰し応援することにより、産業界の男女共同参画社会の実現を推進し、わが国経済の発展に資することを目的とするもの」だそうです。この顕彰は、各地の商工会から推薦された応募企業から選出されるようです。この熊本商工会議所女性会が推薦する賞として「輝女(テルージョ)」があります。

昨年、その「輝女(テルージョ)」に輝いたお一人にドルフィンワークス代表の西田ミワさんがいらっしゃいました。他に三人の女性経営者がいらっしゃいますが、事業面から個人的に関心があった西田さんにインタヴュー依頼をさせていただき、今回お話をうかがいました。という訳で第17回目のゲストは、「コンテンツディレクター/プランナー」、「財団法人生涯学習開発財団認定コーチ」として活躍されている西田ミワさんです。



実は今回のインタヴューを終えて、ちょっと困りました。西田さんにはいろんなメディアからの取材が多く、私があえてここで書くことはないんじゃないかと思うほどだったからです。しかも、取材後、この記事を書くにあたって西田さんからいただいた資料を読みながら何気なくHPをチェックするといきなり、「エントワークリンケージ 後藤愼一様よりネット取材いただくことになりました。どんな視点で取り上げてくださるのか楽しみです^^のちほどご報告いたします」と書かれているではありませんか。暗黙のプレッシャーです。

とは言え、お忙しい中でせっかく頂いた時間ですので、西田さんご自身、今後の事業についてうかがったことを私なりの解釈で皆さんにお伝えしたいと思います。第一稿を西田さんにメールで送ったところ、前述の「暗黙のプレッシャー」について、西田さんから「脳化学的に申しますと、この『ピュアプレッシャー』は”さらなる向上と幸福感を誘発するドーパミンを大量放出”するそうで…」という励ましをいただきました。それでは本題に入ります。



2001年7月の創業以来、なぜ西田さんがこれほど注目を浴びておられるのか?私の西田さんに対する興味はこの点にありました。取材を終えてその答えが理解できたように思います。実は、西田さんに数多くのメディアから取材依頼が寄せられるようになったのは、起業から半年間、売上ゼロという苦境に喘いだ西田さんが、そこから脱するために暗中模索の中でたどり着いて実行した「顔を売る」という行動の賜物だったことがわかりました。

「私と同じように起業した人、起業を目指している人、様々な異業種、同業種の交流会に顔を出し、団体のリーダーやお世話係も積極的に引き受けました」(商工ひのくに)と西田さんは語っています。もちろん西田さんが手がけられようとした事業そのものにメディアが関心を示さなければ、いくら顔を売っても連鎖はしませんね。しかし、事業そのものがどんなにインパクトのあるものでも、それが確実に歩を進めていなければメディアはフォローしてくれません。

西田さんの何がメディアの関心を呼んだのかをもう少し掘り下げてみようと、まず、西田さんがどのようにして起業するに至ったか、そして、西田ミワという女性がどういう方なのかを知るために、起業前のことについて振り返っていただきました。

高校を卒業した西田さんは、ご実家でアパート経営されていることもあって、建築に興味を抱きながら、とあるゼネコンに入社されます。そして、不動産販売に携わる中で宅建主任の資格を取得され、建築業界、不動産業界でのキャリアを積んでいかれました。この辺までの西田さんは業界では一般に見受けられるOLの一人でした。

仕事にも慣れた頃から、西田さんの中で「私自身、果たして世の中でどのくらい通用するのだろう?」という単純明快な疑問がわいてきました。さらにそれが「そもそも、自分とはいったい何者なのか?」という命題に突き当たっていきます。西田さんは23歳のとき、突然思い立って「自分探しの旅」のためにアメリカに旅立ちました。宿だけを確保しながらの、2週間にわたるアメリカの旅です。しかし結局、アメリカでは何も見つけることはできませんでした。

その後熊本に戻った西田さんは、ハウスメーカーで建売住宅の営業職をはじめに様々な仕事を経験されます。数えるとそれは20種類以上にも及ぶといいます。ときには二足・三足のわらじを履いたこともあるそうです。とにかく自分にあった仕事に出会うために「OL時代は原因を外に見つけるのが得意で、気に入らなければ即転職」という「ジョブ・サーフィン」とも言える状況でした。西田さんの「自分探し」はまだ続いていました。

そこへ運命は、西田さんが求める「ほんとの自分」ではなく、「一生のパートナー」を巡り会わせることにしました。この運命の波に乗って28歳で結婚され、翌年ご長女を出産されます。一見順調な新婚生活でした。ところが、家庭に納まった西田さんは社会的な接点を失ったような気持ちから、一時、育児ノイローゼ状態に陥ってしまいます。

この閉塞感の捌け口として西田さんは、当時立ち上がったばかりのメールマガジンに思いのたけをぶつけ始めました。今から10年位前のことですから、今ほどインターネットは盛んではありませんでしたが、このメルマガがなんと1,400名の読者の共感を呼んだのでした。今の西田さんの仕事の出発点はここから生まれたのでした。

以来、西田さんは家庭に加えて「自分の仮の居場所」を見つけて、まずはネット社会を泳ぎまわることになります。ネットサーフィンをしながら、現在の環境の中で再就職の道が固く閉ざされていることもひしひしと感じていました。一方で、メルマガの読者にはいろんな人がいて、彼らから情報提供を受けたり、相談に応えたりする中で、今目の前にあるパソコンとインターネットでなんらかのサービス提供ができるのではないかと考え、西田さんはWEBデザーナーとして独り立ちすることを決意します。




そして、起業。しかし前述のように半年間は全く仕事が入ってきません。西田さんはそんな起業後の苦しみの中からもうひとつ「居場所」について思い至ります。「一人でやってみて初めて、自分にはこれまで会社という後ろ盾があったことが自覚できたんです。そして、そのありがたさに気づいたんです」と。実社会の海は西田さんにとって、ネット社会ほど自由な回遊空間ではありませんでしたが、冒頭の積極的な人脈づくりが少しずつ実っていきました。

「Webデザイナーとして開業はしましたが、何しろ独学ですから、当初はお客様にご協力いただきながら必死で制作していました。そして、やればやるほどその都度、自分に欠けているものがわかってくるんですね。その発見が喜びだったんです。確かに苦労はしましたが、お客様が喜ぶ顔が見たいという気持ちの方が勝っていたと思います」と、西田さんはその当時の思いを語ります。

これまでずっと探していた「自分」が直接的にではなく、結婚、出産、育児というプロセスを経てようやく西田さんの目の前に現われたのです。前述の「やればやるほどその都度、自分に欠けているものがわかってくるんですね。その発見が喜びだったんです」と語る西田さんの言葉とあわせてみると、結局、探している「自分」は、もともと西田さんの中にあったことがわかります。そして「仮の自分の居場所」が「ほんとの自分の居場所」へと変わっていくのです。

西田さんのこんな「自分探し」の話を聞きながら、私は、あるブログの読者同士である武闘派銀行マン「のんた」さんのブログ「潰してたまるか!お前の会社」の次のような記事のことを思い出していました。(http://ameblo.jp/k-hotline/entry-10080027975.html

自分の取り得や才能を、最も簡単に見つけられる方法があります。それは、起業することです。逆に言えば、起業しない限り、あなたの本当の才能を見つけ出すことは出来ません。すでに起業して苦労した人は分かると思いますが、人というものは、一人ぼっちになって初めて、自分自身の力量が分かります。「自分に何が出来るのか」ということを客観視できます。

会社にいる限りは、基本的に温室育ちであることに大差ありません。そんな環境で、いくら自分に何が出来るかを考えてみたところで、客観視することなど不可能です。資格を持っているから大丈夫だろう、営業が得意だから大丈夫だろうという甘い考えは、起業したとたんに吹き飛んでしまいます。そして、最終的には、「自分は何のために生まれてきたのか」ということが分かります。そこから先は、また自分で決めるのです。

私自身がそうであったように、起業して自分が得意だと思っていたことに力を注いだ結果、「こんなはずじゃなかった」と感じることなど日常茶飯事です。好きだと思って始めたのに、実は好きではなかったということがあってもいいのです。そうやって、少しずつ自分を分かっていくことが、起業する喜びでもあるのです。あなたが現在いるところは、世界で一番いいところでもなければ、悪いところでもありません。今がベストだと思っても、外に出るともっといいところがあったという発見をし、世間の広さを知って喜びを知るのです。

自分の取り得を知ってから起業するのではありません。起業することで、自分の取り得を見つけることができるのです。


今の西田さんの本業は、「DOLPHIN WORKS」における、インターネットコンテンツの企画・制作、ブログ・メルマガの執筆代行、そして昨年立ち上げた「STAND UP」における次世代リーダーのための起業家育成活動、ワークショップ等企画運営、加えて共同出版にまでと多岐に及んでいます。更に4月1日からは「STAND UP」の弟分的団体、社会起業家とフリーランスのための情報発信局「SOHOフォレスト」を稼働されるそうです。これは、熊本県を拠点に活動するフリーランサー、社会起業家、個人事業主のシンクタンクとしての位置づけで、交流の場、ビジネスマッチングの場としての受け皿になるようです。

「高度なコミュニケーション能力と、地域やネットワークの媒介としての役目を担う会社でありたい」という願いをこめたという「DOLPHIN WORKS(ドルフィンワークス)」。この屋号は更に、「ボスを目ざすサメとリーダーを目ざすイルカ―上司・同僚・部下から評価されるイルカ型ビジネスのすすめ」(単行本))という本に書かれた次ぎの内容にインスパイアされたものでもあるそうです。




社会で働く人は、男女問わず、サメ(海の殺し屋)、グッピー(自己中心主義者)、イルカ(高い知性を持って、和を大切にする人)に分けられる。それぞれどのようにつきあえばよいか、アメリカのビジネスで成功している女性200人のインタビューを基に構成されたハウツーブック。//内容(「BOOK」データベースより)


そして、女性鉱山労働者になったシングルマザーが、男性社会の中で耐え難いセクシャル・ハラスメントを受け、立ち上がるまでを実話に基づいて描いたシャーリーズ・セロン主演の「スタンド・アップ」からインスピレーションを得たという「STAND UP」。西田さんは「この受け皿を『スター誕生』」に場にしたいんです」と語ってくれました。



最後に今後の活動についておうかがいしました。「私って、思ったことと今やっていることの間にギャップがあったりします。それはいろんなニーズや状況によって、そのときの最もよい形がケース・バイ・ケースで違ってくるからで、私の中ではごく自然な流れで方向転換しています」と笑いながら語る西田さんには何か一筋ピンとしたものが通っていることを感じさせる目の輝きがあります。

第一稿のメールへの西田さんの返信に次のようなメッセージがありました。

もう一つ、私が目指す、社会的なミッションがあります。現代社会においては、従来の社会が「リアル地球」と称するならば、インターネット上では「バーチャル地球」が存在しており、2つの地球が互いに干渉したり、シンクロしあって、現在のような社会が形成されています。(googleなどの影響で加速していますね)

「情報格差」という言葉がありますが、私の解釈では、格差とは、その2つの地球を上手に住み分けできるかできないかの違いによって起こるもの。インフラ面では、日本においては、ほぼ平等に権利を手に入れているのですが、必ず加速していく社会の波に乗れない人も出てくる。私は、その受け皿が絶対的に必要だと思っています。

ドルフィンワークスは、その、リアルとバーチャルをつなぐ潤滑油のような役目と、希薄になりつつある”心”と心の闇に焦点をあて、人と人、ネットワークをつなぐ潤滑油になりたいと思っています。SOHOフォレストも、スタンドアップも、その通過点での試みです。


西田さんのこれまでの話を聞いていると、一人の女性が「顔のない」ネット社会の海に飛び出し、そこでコミュニケーションの必要性を学び、そのことによって「自分」という存在意義がはっきりと実像化され、その実像をまとって「顔のある」実社会に繋がっている姿が見て取れます。そして今度は「顔のある」存在として、再びネット社会の海を自由の泳ぎまわっている姿。

創業以来、なぜ西田さんがこれほど注目を浴びておられるのか?それはネット社会と実社会という二つの社会を泳ぎ回る西田さんの行動範囲が一般人よりも遥かに広いわけですから、当然の帰結な訳です。時には戦略的に網にかかることもあるでしょうし、無作為に泳いでいるところを発見されたりもするでしょう。結果的に露出頻度が高くなり、正のスパイラルを起こすことになるという訳です。

「自分が味わった苦悩や失敗を伝えたり、コーチングすることで、これらから起業する方々が少しでもリスクを回避してもらえるようにサポートしていきたいと思っています。また、意図に反して苦境に立ってしまった方にもフォローできるような体制も組んでいきたいと思います。そして、仕事でも家庭でもストレスなくやっていけるような環境づくりをいろんな方法で目指してきたいですね」と語ってくれました。

西田ミワさんへのアクセスは下記。

ドルフィンワークス
代表 西田ミワ 
OFFICE:(〒862-0902)熊本市東本町16-39-1001
TEL&FAX:096-368-8176 / MOBILE:090-3415-5630
URL:http://dolphin-w.com / MAIL:info@dolphin-w.com
SKYPE:dw-nishida / mixiネーム:旅ねこ
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▼スタンドアップblog更新中!
http://tabineko.otemo-yan.net/
◆「SOHOフォレスト」準備中!

(追記)~西田さんからのメッセージ~

この本になぞりながら、次世代リーダーのあり方について私のメンターである増田紀彦氏がこのような記事を書いておられます。

▼【独立事典デスク:週刊「増田紀彦」通信】
第44回「それぞれの持ち味」 2003.06.27配信
http://www.keyplanet.com/keypla/masuda/masu04.html

求めている仕事のありかたを模索している時、偶然に、増田氏のこの記事を読み、リーダーのあり方について深く感銘を受けました。※増田紀彦氏は、アントレ編集デスクでもあり、起業家でもあり、現在は、NICeのチーフプロデューサーでもあります。

▼NICe(起業家SNS) 経済産業省プロジェクト
http://www.nice-vec.jp/  
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2008年03月16日

音楽で農業支援、ツゥートクエンジニアリング・永脇泰夫(16)

ミュージックバナナというバナナをご存知でしょうか?宮崎県の都城でモーツアルトを聞いて育ったバナナのことです。バナナ自体は青い状態で輸入して、日本で追熟してから販売する商品。ミュージックバナナは、フィリピンの海抜300メートル以上の高地で栽培されたバナージュという優良品種をコンテナ積みのまま都城へ輸送し、熟成倉庫に搬入し、モーツァルトを聞かせて熟成しているといいます。



モーツアルトの曲には8000ヘルツ以上の高周波音とゆらぎの音がたくさん含まれていて、あるゆるものの分子を活性化する作用があると言われ、「モーツアルト効果」という言葉まで生まれています。波動がキーワードだそうです。私はまだ食べたことはありませんが、消費者調査では90%近くの人が一般のバナナよりもおいしいと回答しているという結果も出ているそうです。

このミュージックバナナを認定しているのが「日本音楽熟成協会」です。この協会は、「音楽熟成の研究と開発により、その成果を会員および一般に啓発・普及し、もって社会の健全な発展に寄与する事を目的」とし、会長は七田チャイルドアカデミー、右脳開発で有名な七田眞さんです。「都城大同青果」がこの協会に技術的なアドバイスを受けて音楽熟成されたこのバナナは傷みも少ないということです。

また前置きが長くなりましたが、16回目のゲストは、こうした話とは関係なく熊本県の農業を音楽の力で再生させたいと昨年1月下旬に起業した㈱ツゥートクエンジニアリング・代表取締役の永脇泰夫さん(50)です。永脇さんとのご縁は、第6回目のゲスト田上菜穂美さんのオフィスがある「夢挑戦プラザ21」にお邪魔した際に、入居会社一覧を見て同社のことを知り、田上さんに紹介していただきました。



永脇さんは御船町のご出身。小学校から高校まで御船で過され、前職の建設会社で25年間、音響設備の仕事に携わっておられました。公共ホールや学校の音響、放送設備、映像、通信システム設備の設計・施工という仕事です。折からの公共事業費の削減で事業が縮小化に向かう中、これまでの技術を、同じく苦境にあえぐ県内農業の再生に活かしたいということで独立、起業されました。

会社名の「ツゥートク」は前職の会社名から。「社長に頼んで暖簾分け的にいただきました」と、前職の仕事と会社に愛着を持つ技術者としての永脇さんのお人柄が現われています。この会社から二人の後輩を引き連れての起業でした。ちなみに「ツゥートク」は、「通信、特殊機器」の頭文字を取ったネーミングです。

ミュージックバナナの話とは関係なく、と書きましたが、この話は永脇さんからお聞きしたものです。永脇さんも音楽を使って農作物を栽培したり、牛や豚、鶏などにモーツァルトなどの音楽を聞かせる農家があるということは勿論ご存知で、それだからこそこの事業に足を踏み入れられた訳です。起業後にいろいろ情報収集してみたところ、その試みが全国的に行われていたことがわかった、ということで、このミュージックバナナの話もその一つです。

そして永脇さんの情報収集の中から紹介してもらったのが「タンパク質の音楽」(ちくまプリマーブックス)という本です。この本の紹介文には次のようなコメントがありました。



「タンパク質と音楽。まったく関係がないように見えるこの2つの事柄が、実はとても深く結びついているのです。地球上のあらゆる生命活動が、タンパク質の奏でる音楽に左右されていると言っても過言ではありません。“タンパク質の音楽”の用途はさまざま。正しく利用することによって、近い将来、農業や医療の世界に革命がもたらされることになるでしょう」

タンパク質の分子構造を音符に置き換えるとなんと、クラシック調のメロディーが紡ぎだされるというのです。「たんぱく質の音楽」には次にように書かれています。

「ウシにモーツァルトを聞かせると乳がよく出る」。音楽の効果を示すのによく取り上げられる話である。ところがその理由となると、「ウシも音楽でいい気持ちになり、乳の出もよくなったのだろう」くらいにしか考えられていない。だがステルンナイメール博士の提案した《タンパク質の音楽》理論によれば、この現象も十分に説明ができるのだ。

乳腺の発達や乳汁の分泌を促すタンパク質として、プロラクチンが知られている。その機能から、乳腺刺激ホルモンとも呼ばれる。そこでステルンナイメール博士は、このタンパク質をメロディに置き換えることを思いついた。果たして予想に違わず、モーツァルト的としか言いようのない部分が含まれていたのだ。


この本が永脇さんのインスピレーションを裏付けました。「『安全でおいしい食の追及』をテーマに、第一次産業(農業・畜産・酪農・養鶏等)を音楽と音響設備で支援しよう。ビニールハウス・牛舎・豚舎に高品の音楽を流し、農作物・家畜に癒しの空間を作り出し、生産性の向上を目指そう」と。現状では各農家が独自に取り組んでいる音楽熟成を、永脇さんは一つのシステムとして構築し、安価に提供したいと考えておられます。

例えば、朝5時からモーツァルトが流れ7時に自動的に止まるシステム。日によって、時間によって流す曲を自動的に変えるシステムなどなど。また、動物の条件反射も性質を利用して、餌を与える時間を音楽で知らせたり、乳牛には相当なストレスになるという搾乳時に音楽でストレスを緩和したりといろいろな応用が可能だそうです。



「耳のある動物なら音楽を聞かせても効果がありそうなことはわかってもらえますが、耳のない植物に効果があるのかとよく聞かれます。でも実際は植物こそ、この音楽が効果的なんですね。音楽、音響は空気振動です。植物はこの空気振動を敏感に受容してくれるのです。よい空気振動は、光合成を促進したり、水分の吸収力を高めるという研究結果もあります。ですから、動物よりも植物は感受性が高いと言えますよ」と永脇さん。確かに観葉植物に声をかけるとよく育つという話はよく聞きますよね。

目下の課題は二つ。音響設備による研究データが少ないこと。また、このデータを取るには研究機関と農業施設が必要になって、資金も時間もかかる。ですから、永脇さんは今のところこのシステムを積極的に販売しようとは思っていません。ご自分の収穫する農作物に付加価値をつけたいと積極的に考えている農家の方々と一緒に取り組んでいきたいというのが永脇さんの意向です。

もう一つは、この25年間ずっと建設業に携わっただけに、農業関係者の人脈が少ないことです。現在は前職時代の音響設備の仕事で経営を支えながら、農業関係者の人脈を少しずつ広げて早めにこの事業へ本格的に転換することを目指されています。また将来的には水産業への応用も視野に入っています。

研究データは少なくとも「音楽を聞かせて育った野菜は、甘味が強くておいしい」という話は少なくありません。この辺は当面、実証主義ではなく経験主義でいくしかないと私もそう思います。「今、日本の食の安全が問われていますね。30%台の低い自給率、飼料の高騰による生産コスト増を打開するためには日本の地産地消を高めることです。一日も早く農業の再生を実現しければならない。そのために役に立ちたい。私たちは挑戦します」と永脇さんは熱く語られました。

この記事をご覧頂いた農家の方、知り合いに農家の方がいらっしゃる方で興味のある方は下記までアクセスして下さいね。

㈱ツゥートクエンジニアリング
上益城郡益城町田原2081-10 夢挑戦プラザ21 オフィス1号室
TEL;096-214-5233
FAX;096-289-3177
E-mai;tsutoku-engl@bz03.plala.or.jp  
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2008年03月13日

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)

オープンから翌年、田中さんに香水業界のツアーへの参加の話が舞い込みます。香水の本場、フランス、パリ、そして冒頭で触れたグラースへの旅です。田中さんの店は順調に推移し、交通センター内テナントでの坪当たりの売上がトップになる程。旅費を捻出することにはなんら問題がない状態でした。田中さんは絶好のチャンスと、このツアーに申し込みます。

初めて訪れるフランスでしたが、田中さんが注目したのはパリではなく、グラースでした。街中が香っているのです。グラースの数ある精油工場の煙突からはもくもくと煙が出ていますが、それは黒煙ではなく、バラなどから精油を抽出するための蒸留過程で出る水蒸気でした。この水蒸気によってグラースは「世界で唯一結核患者のない街」と言われ、「アロマテラピーの原点の地」だとされるそうです。田中さんは研究室への見学にも刺激され、そこの先生方と記念撮影など撮って楽しい時間を過ごしました。

日本に帰った田中さんは、また子育てと仕事に追われる日々の中に戻っていました。そんな年の夏、交通センターに向かう途中で夕立に合います。一瞬の雨で温まった地面が蒸されたかのような蒸気を立てます。それと同時に、花壇の土からスミレの精油を抽出しているような香りが漂ってきたのです。田中さんの脳裏は一瞬にしてあのグラースの光景とシンクロしていました。「いても立ってもいられなくなく」病が再発しました。




最初の訪問からまだ半年。田中さんは再びグラースの地にいました。たった一人で。田中さんは前回のルートを思い出しながら、前回訪れた研究所を目指します。田中さんが話せるフランス語は「ボンジュールとグラース」だけ。「片言でも気持ちは通じるものよ」と。到着した研究所の進入制止バーを軽く潜り抜け、制止しようとする警備員のフランス語に「ボンジュール」と応えながら、一気にエントランスまで。

エントランスには三人の女性が待ち構えていたそうです。おそらく「あなたは誰ですか?」とか「何をしに来たのか」と問われたはずです。田中さんは「私は半年前にこの研究所にきた日本人です。研究室の先生に会うためにはるばる日本から来たのです」と日本語で伝えたようです。しかし、田中さんの目にもその女性たちが、明らかに「帰れ」と言っているのはわかっていました。

しかしここまで来て引き下がることができないのが、田中さんです。田中さんはあろうことか、その三人の女性の間を潜り抜け、走り出したのです。目的の研究室へのルートはまだ記憶に新しい。その研究室まで一気に駆け抜ける作戦、いや衝動でした。走る田中さん、追う三人のフランス人。階段を駆け上り、お目当ての研究室の扉をノックし、突入。扉の向こうには、きょとんとした先生の姿。

田中さんはバッグから去年一緒に先生と撮影した写真を素早く取り出し、「覚えていますか?私です。先生に会いに日本からまた来たのです」と、多分何語ともとれない言葉で訴えたのでした。そのとき、「追っ手」の三人が部屋に駆け込んできました。先生は、「大丈夫だよ。下がっていいよ」(多分)と彼女たちを返しました。

先生のデスクの前に座った田中さんの鼻先にすーっと試験紙が差し出されます。田中さんは「ローズ?」と答える。「ウィ」と先生。「次は?」とこういうやり取りが暫く続いたそうですが、良く考えると奇妙な光景ですよ。先生はフランス語で語りかけ、田中さんは笑って「ウィ」と応え続けます。そして、弾む(?)会話を通じて、言葉での会話はできないままでも心は満たされていました。

先生との再会を果した田中さんは、グラースの町を大手を振って歩き回ったそうです。話に聞き入っていた私は、「それで、その先生に会いに行かれた今回の目的はなんだったんですか?」と尋ねました。すると「先生に会いたかっただけよ」と。恐るべし、肥後の女。




帰国後も田中さんはお店でパフューマーに会った話をしながら、心は次にグラースを訪ねることしかなかったそうです。そして次ぎの年、また次ぎの年とグラースとその先生を訪ねる中で、田中さんにはこの先生から「そんなに香りが好きなら、ここで勉強しませんか?」と言われたように聞こえたそうです。

田中さんは、一回目のフランスツアーでコーディネーターをやっていた日本人パフューマーにこの間、何通か手紙を書いていたそうですが、これまで返事が返ってこなかったそうです。ところが、数回目の訪問のとき、偶然にも彼からコンタクトがあったのです。パリに戻った田中さんはそのパフューマーに先ほどの先生とのやり取りを話しました。以来、そのパフューマーとは家族ぐるみのお付き合いだそうです。

熊本に帰った田中さんのもとへ、暫くして彼から連絡が入りました。「来年の2月にこちらに来られますか?入学が許可されることになりましたよ。私が推薦人になっておきましたから」と。そのスクールとは世界的にも有名なグラース市の由緒ある香料会社のラボ(研究室)でした。通常であれば大手化粧品メーカーなどの取引先から、しかも数人しか入学できないラボです。田中さんが断る理由はありませんでした。

それから10年後、田中さんは(有)パフューマークラブを設立。お店もさすがに手狭になり、さらに5年後、新市街に店舗「香りの16区」を移転します。時は1990年。開業から15年目のことでした。ちなみに「16区」とは、「パリの16区」からのインスピレーション。1960-70年代まで、ブルジョワエレガンスがここパリ16区に住む人々の特徴でした。20世紀初頭の建築という視点から言っても一番美しい場所、美しい言葉が残る場所の一つに数えられるといいます。




田中さんは満を持したように、翌年、厚生省から化粧品製造許可を取得し、NHK福岡文化センターでフレグランススクールを開校。更に1993年にはNKK熊本文化センターに同校熊本校を開校、熊本市政策審議懇談会委員、熊本市香りの森建設委員会委員の役職を務められます。

そして、2001年、熊本県から「県の香りマイスター」に任命されます。更に、翌年、厚生省より化粧品輸入許可を取得。続いて臭気判定士協会の理事に就任。そして、同年、フランスパフューマ―(調香師)協会の正会員になられます。今では、東京とグラースにもオフィスを構えておられます。田中さんのグラースへの訪問回数は既に50回以上にも及んでいるそうです。

すっかりグラース通となった田中さんは、かねてからグラース市長にパフューマー養成スクールの開設を打診していました。そして2003年についに、それが「Grasse Institute Perfumery(GIP)」という形で実現することになりました。今では各国からこのスクールへの入校依頼が殺到し、日本人枠が狭められるほどの人気になってしまっているそうです。

田中さんが福岡と熊本で開校したフレグランススクール(パフューマー・香りのスペシャリスト養成スクール)は既に33期生にまで達しています。卒業生の中には世界的に有名な香料会社の香料研究所に入社し活躍している方もいらっしゃいます。

この田中さんが今取り組まれているものには、「香りによる空間演出」、「高齢化社会とアロマコロジーを考える会」、「国際香りと文化の会」などがありますが、詳しくはHPを参照いただくとして、私が最も注目したいのは「九州香りアイランド構想」というプロジェクトです。




九州の恵まれた自然環境では、今でも森林浴、海水浴、太陽浴、温泉浴、花香浴をいたるところで楽しむことができます。これに新たに「芳香浴」をテーマにしたアグリ・レジャーランドを築こうというものです。香りのある植物を植え、それを抽出することによって新しい農業の新しい分野が広がることに貢献したいというものです。

減反政策や後継者の問題で人手の加わらなくなった田畑で季節の花々や香りのある植物を栽培する。「それは、売る花々や植物であってもいいし、グラースのように蒸留施設を作って精油精製をしてもいい。蒸留施設が出来る事によってその地域は豊かな香りの水蒸気で覆われ、アロマテラピー効果を発揮してそこに住む人々を心身ともに癒すことができる。その香りに誘われ、観光客も呼べるかもしれない」と田中さん。

グラースでは土地柄、主食になるような作物をつくることはできません。それだからこそ、かんきつ類などは実、皮、葉、更には種に至るまで抽出する技術を確立しているそうです。そんなグラースを見ているからこそ、田中さんには九州のこの素晴しい環境が野放しになっていることに残念な思いがあります。

例えば、ご当地の香り、四季の香りを香水にすること。田中さんは熊本市からの依頼を受け、
●森の都「森のかたらい」・・・リフレッシュ用
●水の都「川のささやき」・・・リラックス用
●肥後六花「花らんらん」・・・高揚(明るい成分)
という3部作の「くまもとの香り」を創作しています。

また、八代の名産・晩白柚の香りを抽出した香水もあります。これは、(社)熊本県物産振興協会
からH19年度の優良商品金賞を受賞されています。更に、これに晩白柚を使った焼酎、ジャム、石鹸などをセットにすることによって、晩白柚自体の付加価値を高める。そして、八代のあの駅前の臭いのイメージを晩白柚の香りで一掃することができないか?これは私が後付で勝手に妄想したものですが・・・。




2006年11月、今の「香水の16区」にお店を移転し、今では熊本市桜町に香水抽出用のラボも作りました。最後になりますが、田中さんと「香水の16区」に関する一番ホットなニュースは、なんと「東大」「NASA」、そして「紙飛行機」がキーワード。「香り」の無重力、あるいはマッハの世界での影響を研究するプロジェクトにも参加しておられるのです。詳しくは、
http://www.yamaguchi.net/archives/005142.html)で。

とにかく「動き回るのが好きな」一人の主婦が、自分の居場所、やりがいを求めて駆け抜けた33年間。留まることが嫌いな田中さんの駆け足は、とうとう宇宙科学研究の領域にまで達していました。他にも老人介護、目の不自由な方へのサポート役としての「香り」の可能性の研究などなど田中さんの頭の中にはやりたいことが一杯です。熊本から世界へ、香りの伝道師は今日も駆けずり回ります。


香水専門店「香水の16区」;
〒860-0845 熊本市上通町5-6-1F
TEL:096(325)0418 FAX:096(326)8709
ホームページ;http://www.pluto.dti.ne.jp/~kaori16/
E-mail;kaori16@pluto.dti.ne.jp
営業時間:11:00~20:00休み:無休
  
Posted by エントワークリンケージ at 12:10
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