QRコード
QRCODE
Information
ID
PASS

 


【PR】カード1枚でいろんなお店のポイントが貯まる!!詳しくはこちら》
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
エントワークリンケージ
エントワークリンケージ
私、五十路手前の後藤愼一が、熊本で頑張る社長さんやオーナーさんを訪問し、創業の苦労話、これからの夢などあれやこれや聞いて、レポートします。
オーナーへメッセージ

2008年04月20日

屈強の警部から保育所経営者への転進、友田秀一(21)

先日コミュニティ紙を眺めていたら、「働くお母さんを支援したい~24時間体制の保育施設~マザーハウス保育所」という紹介記事に目が留まりました。社長さんは行政書士・友田秀一と書かれていました。行政書士の方がなぜ、保育所経営に乗り出されたのかと、私は早速、4/2にこの保育所を直接訪ね、受付の方に友田社長への取材を申出ました。この日はあいにく友田さんが不在でしたので、資料だけ預けて保育所を後にしました。

一週間が経ったころ、取材を受けていただけるかどうか確認の連絡を入れたところ、取材は土曜日ならOKとの了解を得、4/12にお時間をいただきました。訪問前に改めてこのマザーハウス保育所のことをネットで検索してみて、私はちょっと腰が引けました。それは最初に見過ごしていた友田さんの経歴でした。人吉市出身、1955(昭和30)年4月生まれ。そして・・・



昭和49年4月3日付けで熊本県巡査を拝命し、平成19年3月に退職するまで、そのほとんどを熊本市内警察署、熊本県警察本部で暴力団捜査部門の刑事として従事。暴力団の対立抗争事件捜査や殺人事件をはじめ各種事件捜査に従事し、その後、暴力団の武器であるけん銃の捜査や資金源となる覚せい剤など麻薬捜査の経歴を持つ。警察在籍33年の内、捜査経歴28年の経験から裁判立証のための行動確認、尾行の技術は、他社に負けぬ自信を持つ。

在籍時、各種事件の功労として熊本県警察本部長賞詞6回、(うち、優秀警察官表彰を受賞、警察庁課長賞2回、九州管区警察公安部長賞2回、熊本県警察本部長賞誉18回、その他各部長賞、所属長賞数十回を受賞。退職時、警部に昇任し、熊本県警察本部長功績賞を受賞。平成19年5月、熊本県公安委員会第100186号、第200129号で警備員指導教育責任者資格を取得。同月行政書士資格取得し、友田行政書士事務所を開業。


車を運転しているときパトカーを発見しただけで萎縮してしまう小心者の私は、これまで「刑事」と名のつく方と接触したことがなく、しかも昨年までバリバリの暴力団捜査の警察官と聞けばおのずと緊張感が高まってしまいます。そんな訳で、恐れ多くも第21回目のゲストは、株式会社マザーハウス保育所・代表取締役で行政書士の友田秀一(53)さんです。

友田さんが警察官だったということは公務員だったということです。小心者の私ではありますが、友田さんが定年を前に退官されたことについて、その事情をどうしてもうかがいたくなるところです。経歴を見ればわかるように、友田さんの警察官としての実績には非の打ちどころがありません。恐る恐るうかがった友田さんの退職理由は、一言で言えば、組織の中で生きることの難しさでした。(スイマセン、お話の内容上、ここでは詳しく書けません)友田さんは退職される前年の10月には、上司の方に退職を申出られたそうです。しかし、それは随分も前に友田さんの中では決まっていたことでした。

退職後の友田さんの計画には行政書士としての仕事に加え、「安全アドバイザー」という新しい仕事の立ち上げが念頭にありました。これまでの刑事としての経験から、刑事事件に発展するようなケースで、被害者が事前に警察へ駆け込むまでにはかなりの時間を要していることがわかっていました。一方で家裁、弁護士などへの相談もなかなか敷居が高いと思われていたことも。友田さんはこの間を繋ぐことができれば、少しでも被害者を少なくする手伝いができる筈だと思われました。それが「安全アドバイザー」としての起業になります。

そして、満を持して昨年3月に惜しまれながら退職。ご家族はさぞや安心されたことだろうと思います。これまでの切った張ったの命がけの仕事から解放されたのは友田さんご本人だけでありません。ご家族こそ、これから初めての平穏な生活がその日から始まるのです。退職後の行政書士としての仕事は、これまでのお付き合いから企業の顧問契約の話もあり、順調なスタートでした。

友田さんが行政書士として独立して人脈を拡げておられたそんなある日、二人の方から友田さんに声がかけられました。株式会社阿蘇ナチュラル・Jファーム、代表取締役の森光臣さんと熊本県医師会・婦人の会・副会長で日本エジプト協会熊本会長の西郷澪子さんでした。お二人のお話は、既に設立されていた、シングルマザーを中心とした働く母親支援を目的とするテイクアウトキッチンの建て直しに一役かって欲しいというものでした。

聞けば、テイクアウトキッチン事業と保育事業を両立させたいということで始められたのですが、コスト問題などが大きく立ちふさがり、いったんテイクアウトキッチン事業を撤退し、保育事業に特化した形で再開することになったということでした。お二人からの要望は、友田さんにこの事業の経営責任者になってほしいというもの。友田さんはいきなり経営者になってくれと要請され、戸惑います。

ご家族に相談されたところ、大反対。よそ様の子供を預かるということの責任は、暴力団と対峙すること以上に重いものだということを切々と訴えられました。ご家族にとっては、やっと平穏な暮らしが始まると思っていた矢先だけに、ひと様の幼子を預かるという新たな緊張感は精神的に大きな負担です。友田さんにも家族の心配は理解できますし、むしろ自分自身が経営者としてやっていけるかどうかの不安の方が先立ちます。唯一の関係といえば、お姉さまが長年保育士であったということだけでした。

そこに第三の人物が現れます。九州柳河精機㈱会長で菊南運輸倉庫㈱会長の杉田貞治さんです。友田さんは杉田さんの話を聞きながら次第に就任への気持ちに傾いていきました。杉田さんから出る話は、退官後も友田さんが思い描いていた弱者への支援という理念に通じるものでした。そして、杉田さんからの次のことばが友田さんの心を打ちました。それは「見返りを求めない奉仕の心で取り組んでくれませんか」という一言でした。

「全国初となった慈恵病院の『こうのとりのゆりかご』がありますね。同じ熊本県民としてこの問題を重く受け止め、私たちにも何かできないかと考えたとき、働くお母さんの子育てを支援することを志して設立されたのがこの保育所です。私に声がかけられたのも何かの縁と、挑戦することを決めました」。

「子供は悪さをするために生まれてくるのではありませんね。私は、長年暴力団の連中と接してきましたが、彼らももとを糾せば赤ん坊だったわけで、幼児教育に遡ることができます。ということは、お母さんが子供に対して愛情を惜しみなく注げるような環境づくりのお手伝いをすること、つまり母親支援をすることが健全な子育てにとって最も有効なのだと思ったわけです」。

そして、今年の1月、友田さんは(株)マザーハウス保育所の代表取締役に就任されました。年中無休の24時間運営体制。急な用事で子供を預けなければならなくなったといった場合にも対応できといいます。体験入所も随時受け入れ可能。何しろ24時間体制です。その施設の最高責任者が友田さんです。それだけに就任当初の友田さんは寝付かれなかったそうです。



0歳児から小学生までの預かりと保育。料金は1日預かり(8時間)1600円から、昼夜の月決め2万円からで、年齢によって変わるシステム。これから同保育所では、手作り給食などを通じて食育にも重点を置いていく予定。これは、ドイツ国際食肉加工見本市( 2002)における国際コンクールで数々の金賞を受賞している株式会社阿蘇ナチュラル・Jファームが責任を持って提供していかれます。また、将来的には、英語、音楽を取り入れた情操教育も導入する計画とのこと。

マザーハウス保育所は、旧ブライダルマリエビル全フロア(1~6階)を活用しています。各フロアの床面積は約80㎡で、1回は受付及び0歳児用託児スペース、2・4階はプレールーム、3階は厨房と食堂、5階は保健室とプレールーム、6階は会議室及び職員事務室と、とにかく広いスペースです。現在は60名近くの契約ですが、このキャパシティからすればまだまだ余力があります。

さらに保育士の方々も募集中です。5:00~12:00、12:00~20:00のいずれかで働ける方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか?現在は7名の方が勤務されています。「保育園自体が今年1月からのスタートですから、職場としての環境や制度をこれから作っていくことにやりがいを感じられる人なら積極的に採用したい」と友田さんは話しておられました。

今回のインタヴューでは、友田さんの前職時代の武勇伝も数多くお聞きしましたが、残念ながらここでご紹介することはできません。長年暴力団と対峙されてきた警察官としての屈強さを感じ入りながら、(株)マザーハウス保育所の社長としての友田さんの印象は、実に穏やかで腰の低い方。しかし、シングルマザーをはじめ、弱者を守るという友田さんのミッションは今も変わらずに続いているのでした。


㈱マザーハウス保育所
〒860-0803
熊本市新市街13-19
TEL&FAX 096-351-6400
http://www.tomokk.com/24hhoiku.html
  
Posted by エントワークリンケージ at 11:48
Comments(2)TrackBack(0)注目の経営者・リードオフマン&ウーマン

2008年04月15日

からだから人生の看護へ、FP広瀬美貴子の挑戦(20)

第20回目のゲストは、㈱Fineプロデュース代表取締役・広瀬美貴子さん。広瀬さんのことはFMKに出演されていた番組を聞いて知りました。そのとき、子供たちに金銭教育、キャリア教育を施すことの重要性について、「世の中のすべてにおける分野で、自分で気づき・考えて・行動する教育。世の中のことを伝える教育が必要で、学校と家庭と地域との連携、家庭が社会へ巣立つための経験の場となるような親子のかかわりやコミュニケーションが大切」だという思いを語っておられたのが印象的でした。

いつかはお会いしたいなと思っていたころ、第17回目のゲスト・西田ミワさんにお話を伺った際、西田さんから尊敬する女性としてご紹介を受けたのがその広瀬さんでした。また、そのときにいただいた「夢を形に・起業家たちの人間力」という本に、前回の江浦誠さんと一緒に執筆陣の一人として登場されていたのが広瀬さんでした。不思議なご縁です。そして、お会いする前にHPや本などでご経歴を拝見してみて、その縦横無尽な活躍ぶりに目を見張ったのでした。



広瀬さんの現在の肩書きは、次のようになっています。「ファイナンシャル・プランナー」、「金融知力普及協会認定インストラクター」、「キャリアカウンセラー(JCDA認定)」、「産業カウンセラー」、「FP協会熊本県支部幹事」、「熊本県金融広報アドバイザー」。掲載記事を読むと、広瀬さんの職業人としてのスタートは看護師となっていました。一見すると全く畑違いのこれらの肩書きがいつ、どんな経緯で移り変わっていったのか、関心が高まったのでした。

広瀬さんの詳しいご経歴、事業の内容についてはリンクを張ったHPやパブリシティなどで後程確認していただくとして、私の興味は、看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯と、これからどんな方向へ進まれようとしていらっしゃるのかということです。今回、学校での講演やワークショップで連日ご多忙の中の一時間をいただきお話をいただきました。

広瀬さんは高校卒業を前にご両親から県立大学への進学を薦められますが、心中秘かに「東京に行きたい」という思いを募らせていた広瀬さんは、心臓病で長く苦しんだお兄様へとの関わりと、東京にあって全寮制、奨学金支給という魅力もあいまって看護師を志すことに決めます。品川区五反田にある関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)附属高等看護学院への受験を願い出て、ご両親の承諾を得られました。そして、13倍の難関を突破し見事に入学を果されます。



25年前の当時、関東逓信(ていしん)病院は日本で最先端のシステムを導入していて、すでにコンピュータ化もかなり進んでいたそうです。また、授業では講師陣も優秀な先生方に学び、看護も医療チームの一員としての役割を実践で学ばれました。学院卒業後は、看護師として勤務早々ながらも9日間の休暇が与えられ、この休暇を使って海外旅行を経験されたりと、申し分のない社会人としてのスタートでした。折りしも二年後、小学校の同級生だった彼が大学生として上京して来て再会。ここで大人の恋も芽生えます。このときの大学生は、後のご主人です。

しかしながら、この世の春は、咲き誇る桜の花が瞬く間に散りゆくように、そう長くは続きませんでした。お父様が突然倒れられて、熊本へ帰ることを余儀なくされたのです。憧れの東京での暮らしはあえなく三年間で幕引きとなりました。同時に、彼との都合四年間の遠距離恋愛の始まりでもありました。後ろ髪を惹かれる思いで熊本に戻った広瀬さんは、熊本赤十字病院に就職されます。

熊本赤十字病院といえば県内でも屈指の病院ですが、当時でも県内では先端の病院であったはずです。しかしながら、広瀬さんが東京で勤めていたのは日本で最先端の病院でした。この二つの病院の医療体制の大きな隔たりを前に広瀬さんは愕然とします。東京では看護に専念できた日々でしたが、熊本では休みを取ることもままならい忙しさに加え、看護以外の事務作業が追い討ちをかけました。(あくまで当時の話です)広瀬さんの中で、カルチャーショックと看護師が医療チームとして認めらないことへのストレス、そして体力的な消耗が、看護師としての希望を次第に失わせていきました。

「自分にとって看護師という職業は一生続けていける仕事なのだろうかという疑問がわいたんですね」。この間、広瀬さんの中で、お父様が40歳で起業されていたこともあって、組織の中で仕事をするよりも、自分で起業したいという思いが芽生えだしました。「漠然とでしたが、私も40までに起業をしたいなと思うようになったんです」と。

そんな鬱屈とした日々の中で、意中の彼が熊本の銀行に就職を果し、戻って来ました。長かった遠距離恋愛が一気に燃え上がり、平成2年2月に結婚。広瀬さんは、ご主人の意向もあって結婚退職の道を選ばれます。その後三人の子宝に恵まれ、専業主婦の生活を過ごされますが、三度目の出産後にご自分の今後の人生に目を向けられるようになった広瀬さんは、簿記とコンピュータの勉強を始められます。

結婚から6年後、広瀬さんは、とある小さな株式会社に勤めることになります。そこで、総務・経理・労務を担当する中、社内の若者たちの多重債務状況とそのかかわりを通して、金銭教育の必要性を強く意識されるようになりました。元看護師としての職業的意識が、心の医療ともいうべきカウンセラーへと変質して芽生えたのがこの時期でした。

「『金銭教育』をするためにお金のプロになりたいと思ったときに知ったのがファイナンシャル・プランナーだったんです」。この資格を取るための勉強の時間を作るために仕事もパートに切り換え、車を使う営業の仕事をするようになられます。「遠距離を走る仕事でしたが、私にとっては車の中でテープを聴きながら勉強できたいい時間でした」と楽しい思い出を話すように語られましたが、夜は子育てが終わって11時頃まで、朝は4時起きという五ヶ月間に及ぶ勉強を続けておられました。

「夜11時頃に寝ることが質の良い睡眠になるというので、それなら4時起きでもいけるかなって思ってやってました」。この成果あって、念願のファイナンシャル・プランナーの資格を取得。次に、自分が伝えたいことをきちんと相手に伝える技術の必要性を感じた広瀬さんは、「NPO法人金融知力普及協会認定インストラクター」養成講座も受講をしました。「自らの活動の中で、セミナーを開催するときに必要となる、効果的に話す方法や、アイコンタクトのとりかた、質問の投げかけ方やシナリオの組み立て方などを学ぶことができました」。目標に向かって一気に邁進する広瀬さんの行動力に脱帽です。

しかし取得直後の活動は思うようには進みませんでした。「金銭教育の活動をしたくても無名だったため、活動の場がありませんでした」。そんな中、初めは、自分がやりたいと思っている方向性と同じ内容について開催しているセミナーやワークショップに手伝いとして参加したり、チラシ配布やDM発送などきっかけを掴むための地道な努力が続きます。

そんな中、九州の金銭教育では草分け的存在の方のセミナーに参加したことがきっかけでその方のサポートをするようになられます。その後、講師を任されるようになり一人で鹿児島や沖縄に飛び回る日々を過ごされます。そして、資格取得から1年半ほど過ぎたころ、初めて訪れたチャンスが、お子さんが通う学校のPTA主催の「金銭教育」のセミナーでした。

そして、2004年12月、念願の自主開催でのワークショップを企画・開催。以降ワークショップを続け、その都度プレスリリース(ニュースリリース)をいろいろなメディアに送ったところ、後にメディアからの取材につながり、新聞に取り上げてもらうなど、広瀬さんの名前と活動が少しずつ認知されるようになりました。9月に投げ込んだDMが半年後のレスポンスに繋がりました。

この雌伏の日々の活動が、厳しい寒さに耐えた桜の蕾が時期を得て力強い花を咲かせるように、広瀬さんのもとへ様々なオファーを舞い込ませました。「市の登録講師となり、県の金融広報委員会からの依頼で金融広報アドバイザーになり、市の総合女性センター、公民館などで講師をさせていただくなど、活動の場が拡がりました」と。



広瀬さんの活動実績を見ると、学校関係のセミナーでの講演が実に多いのですが、ここでの話は次ぎの信念に根ざした内容になっています。

子供たちが手にするお小遣いはどこから来るのか?それはもちろん、ご両親の収入からです。言いかえればご両親の『稼ぎ』の中からです。この『稼ぐ』ことの意味を問いかけなければいけないと思っているんです。つまり、金銭教育とキャリア教育は車の両輪なんですね」。

現在、広瀬さんの視線は学生から社会人へと広がっています。「より良く働く人のための支援は、結果的に企業収益の向上につながるんです。ストレスを抱えて保健室で過ごしてきた子供たちが、将来社会人になったときにストレスを発散する場がない。そんな場を提供していきたいんですね。企業へのカウンセリングと人材教育のアウトソーシングを目指しています」。

広瀬さんから「EAP」という言葉を聞きました。「Employee Assistance Program」の略で、「従業員のメンタルヘルス対策支援。社員が抱える職場や家族、健康に関する悩みへの相談を受け付ける体制作りのこと。生産性の向上や優秀な人材の離職防止といった効果がある」手法です。

EAPの具体的な活動内容には、(1)社員の啓もう、(2)電話や電子メール、対面によるカウンセリング、(3)部下との接し方やストレス除去法の教育研修、(4)専門医への紹介などがあります。上司が問題意識のない社員を相談に行くように促したり、気軽に社員が相談できる体制作りまで実施する点が特徴。EAPを導入すれば、社員の欠勤や医療費の削減につながります。さらに、社員の悩みを無くし快適に働ける職場作りをすることで、生産性を向上したり、優秀な人材の流出を阻止するといった効果も期待できます。(日経情報ストラテジー2002/10/29)

実際、カウンセリングの資格を持ちながら、この資格を活かせない方々が少なくないといいます。広瀬さんの目標は、県内の企業経営者に、従業員の方々のストレスを解消することで結果的に収益につながるということを理解してもらい、こういったソフトへの投資を活発化させること。そうすることで潜在カウンセラーたちの活躍の場を提供することにもつながるという狙いです。

さらに、広瀬さんの視線には企業の資金調達の支援活動も入っています。「現在、公的機関による助成金をはじめ、経済産業省や中小企業基盤機構などの様々な機関、財団等から出されているもので、実は3,000種類位あるんですね。ただこうした制度について余りにも情報不足です。特に中小企業にとっては返さなくても良い資金である助成金の存在は貴重な財源です。もちろん所定の審査はありますが、内容によっては数千万~億単位の助成金を受けることも可能なんです。私たちはこの助成金獲得への書類作成などのサポートができます」。

三年後の広瀬さんはどうなっているのかをご本人に尋ねてみました。「仕事をとってくるのが経営者の本質だとしたら、私はそうした経営者にはなれないと思います。自分の手や言葉で直接関わって行きたいんです。そういった意味では、三年後も今と同じ。それに加えてコーディネーターをやっているかもしれません。カウンセリングのアウトソーシングを実現したいんです」。

私が広瀬さんを知ったFMKの番組で司会者が広瀬さんに「社会の看護師みたいですね」と言ったことが、「ちょっぴり嬉しかったですね」と話す広瀬さん。冒頭で私は、「看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯」と書きましたが、広瀬さんにとってそれは「転進」ではなく、「階段を上る」ことだったんだなと思うようになりました。それは、「からだの健康」から「こころの健康」の看護への夢の途中なのだと思うようになりました。

最後に「県知事になれと言われたら何から手をつけたいですか?」と唐突な質問を投げかけてみました。「んー、やりたいことはたくさんありますが・・・。まずは、中学校教育の現場改革ですね。社会につながった教育改革。キャリア教育のできる先生を増やしたいですね。金銭教育、キャリア教育、法教育、食教育、環境教育などは産業界や法曹界、専門家などとの交流が大切です。これまでの教育界の垣根を取っ払って、社会に繋がった教育を実現したいです」と、そのお応えには全く迷いがありませんでした。



週末は阿久根、都城への講演活動に向かうという広瀬さん。今後の更なるご活躍に期待します。そして、蒲島新知事に、広瀬美貴子さんを政策ブレーンとして採用されることをお奨めして、終わります。

<株式会社Fineプロデュースの理念>
Fineな人生  働く人々に、イキイキとした自分らしい仕事人生をプロデュース
Fineな企業  がんばる企業に、人的資源・資金・信用力アップをプロデュース
Fineな社会  働く人と企業のFineで、より良い社会の実現を目指す!

株式会社Fineプロデュース 広瀬 美貴子
〒860-0085 熊本市高平2-25-45日進ビル302号
Tel 096-346-0611 Fax 096-346-0610
E-mail info@fine-produce.co.jp

All Aboutメールマガジン「フォーエル」連載記事「話題のおシゴトに就きたい」
http://forl.allabout.co.jp/L/popularjob/060503/lr04305/  
Posted by エントワークリンケージ at 05:22
Comments(0)TrackBack(0)注目の経営者・リードオフマン&ウーマン

2008年04月08日

天草に雇用創出を!FP・江浦誠(19)の挑戦

先日、第17回のゲストにお迎えした西田ミワさんからいただいた「夢を形に・起業家たちの人間力」という本を読んでいたら、この本の執筆者のお一人の文章に、「生まれ育ったふるさと天草に雇用創出をする!」という力強いタイトルを見つけました。その文章を読んでみると、サラリーマン時代から独立を夢見ながらも、起業するまでの悶々とした思いとその葛藤を淡々と綴りつつ、故郷・天草に対する思いが溢れていました。



これはもっと話を聞かずにはいられないと、自称「夢追いインタヴュワー」の私はさっそく江浦さんにコンタクトを取って、ご多忙中をぬって時間を割いていただきました。そんな訳で、第19回のゲストはFP江浦事務所のファイナンシャルプランナー・江浦誠さん(47)です。辛島町にあるオフィスでお話を伺いました。外は雨模様でしたが、爽やかに応対していただきました。



江浦さんは、天草町高浜の生まれ。天草西高卒業後、現・学園大に入学されます。学生時代にアルバイトをしていた求人誌発行会社にそのまま就職された後、広告代理店、不動産会社を経て、平成8年に友人が立ち上げた生保代理店に参画されました。この代理店は、保険業法改正を見据えて立ち上げた、全国でも画期的な、30数社取扱の乗合代理店だったそうです。創業から丸3年間、最後の一年は熊本の責任者として勤務された後、別法人で組織された代理店に勤められ、生保代理店業10年を迎えた平成18年7月21日に満を持して独立されました。

江浦さんには学生時代から抱いていた二つの思いがありました。「求人誌の営業ではお客様の経営者と商談することが多いのですが、情熱あるお話しを聞いているうちに自分も経営者になりたいと思ったんです」というおぼろ気ながらの「思い」。そして、「学生時代に帰省したとく、高校時代の後輩がとあるきっかけで縫製会社を起こして立派に地元で雇用貢献をしていたことを知ったんですね。自分もいずれは天草の雇用創出に何らかの貢献をしたいと思っていましたが、彼は既に地に足がついた形で実現していて、これも立派な貢献なんだなと気づいたんです」というなんらかの形での貢献をという「思い」。

とは言え、「いつかは起業したい」、そして、「いつかは天草への雇用創出に貢献したい」という漠然とした思いは、なかなか具体的な活動には至らなかった江浦さんでした。しかし、目の前の仕事をこなしながらもこの間に、テープが伸びるほど聞きまくったという自己啓発テープの一つがありました。それは、竹内日祥という住職の「社長・経営幹部のための特別講話乱世を生き抜くリーダーの条件」。

この収録時間、二時間というテープの中の一節が江浦さんの潜在意識に入り込んでいたのでした。その一節は、「まず、旗を揚げること。旗を揚げることによって、周りに知らしめることが肝要だ」という内容だったそうです。私は不勉強で、この竹内日祥上人なる方を存じ上げませんでしたので、ちっと調べてみました。



竹内日祥上人;1947年、神戸市に生まれる、立正大学仏教学部卒業後、日蓮宗妙見閣寺住職となる。上人の講演は、仏教思想を 現代に即応した表現で、独特な弁舌と明解な切れ味の良い論理に乗せて、さわやかな中にちょっぴり深刻な上人の生きざまをのぞかせて、感動を与えると定評があります。特に上人は経営トップの指導と企業幹部の人材育成に強烈な影響を与え、大変革時代の方向と、戦略の原点を的確に示し、混迷の乱世を勝ち抜く価値観の集団的転換(パラダイム・シフト)を徹底的に解明。年間講演回数は、200回に及び、すべての収益は国際永久平和祈念祭典の資金の一部に充てられています。

その後、生保代理店としての仕事は決して順調とは言えず、江浦さんの起業への思いはその一歩を踏み出すことを躊躇させていました。そんな折、ある先輩からの質問が江浦さんの悶々とする思いに火をつけました。それは、これからの人生においての「60歳からの引き算」です。江浦さんの中で15年もあると思っていたその「時間」は、実質的な稼働時間で言えば、その1/3しかなかったことに気づいたのです。「好きな時に好きなことを好きなだけやる」には今しかないと、このとき江浦さんの起業家としてのエンジンは回転し始めました。

そして運命が動き出しました。先述の「夢を形に・起業家たちの人間力」への執筆依頼の話が本書の編著者である中尾吉宏さんから舞い込んだのです。起業して、ある意味さっぱりした気持ちになっていた江浦さんは、この話を受けてから原稿を苦もなく書き始め、締め切りのかなり前に原稿を仕上げたそうです。一方、他の執筆者の方々が締め切りを過ぎてもなかなか仕上がらない中、中尾さんが来熊されるという機会がありました。そこで江浦さんは原稿では触れなかった天草への思いを語ったそうです。すると中尾さんは、「この前の原稿、没にします」と一言。江浦さんは焦りました。その後、中尾さんから継いで出た言葉は「その話を書きましょうよ」と。

書き直した原稿には「天草で仕事をしよう、天草に雇用を創出しよう、天草を盛り上げよう」という思いが綴られることになりました。そして、そこでこの思いを形にして公然とその旗を揚げることにしました。それが、「天草倶楽部」の設立になりました。記念すべき第一回は今年1月24日に行われました。この第一回には前述の西田ミワさんも途中から出席されていて、そのときの模様を次のように書いておられます。



講師の方も含め、8名でスタートした茶話会では天草の現状…雇用、過疎化、小児科・産婦人科の圧倒的不足高齢化(若者の流出)、シャッター街などの現状報告がありこれらをどう食い止めたらいいのか地域資源は何かなどが話題の中心になりました。(じかに聞くとニュースでは得られない切実さが伝わってきます)

ある参加者は、ママさんのネットワークを強化したとえば、病院・子育て情報をITを活用し共有する活動をすでにはじめておられ、ある参加者は、他の地域での成功事例を紹介され、ある参加者は、「とにかく、なにをどうお手伝いできるかわからないけど、天草の魅力を発信していきたい。」と熱く語っておられました。

西田からは、世の中の傾向や興味深い慣例など事例を紹介。参加者の中には、ユニークなキャラと活動に注目があつまり質問攻めになる一幕もあり、会場は大盛り上がり(笑)厳しい現状のなかでも、良い風が吹きそうな予感がします。これから3ヶ月に1回ほどのスパンで天草倶楽部交流会は実施されるそう。私は熊本市内在住ではありますが、同じ熊本県民ですし、彼等の活動のお手伝いしていきたいと思ってます。(http://tabineko.otemo-yan.net/e65557.html


江浦さんは、この「天草倶楽部」を立ち上げてみて、わかったことがあるといいます。それは、天草を再生させたいと活動されている方々はたくさんいて、組織されたグループ、コミュニティも決して少なくないということでした。「私は、この倶楽部が先頭に立ってこれらの方々を引っ張りたいという気持ちはさらさらありません。この倶楽部がそれぞれの活動にどう繋がっていけるのか、これからそれを模索していきたいと思っています」と、謙虚に語られました。

また、「この倶楽部を立ち上げて、いろんなところで天草に対する思いを語っていくうちに、聞いて頂く方々の食指に触れるのでしょうか、相手の方も熱く語ってくださる方が多いんですね。先日もお客様との商談の後この話になって、お客様は地元への思いを二時間も語られました。お客様は天草の方ではありませんでしたが、今後もこの倶楽部を応援していただけるということでした」。

江浦さんの当面の雇用創出への活動は、自らが地元の企業を創出するということではなく、まず、この「天草倶楽部」を通じて参加者への知的啓発とビジネス・マッチングの模索にあります。「目下、手弁当での開催だけに、講師陣の方々にはボランティアでお願いせざるを得ません」とのこと。

天草へ熱い思いをお持ちのコンサルタントやご専門の方、あるいは、そんな方をご存知の方は江浦さんへのご紹介をお願いします。第二回目の「天草倶楽部」は今月17日(木)に開催されます。天草にお住まいの方、天草ご出身の方、あるいは天草の発展に力を貸したいという方は、ふるってご参加ください。

<第二回 天草倶楽部」>
場所;天草宝島国際交流会館ポルト
住所;天草市中央新町15-7 旧ニチイ跡
時間;受付開始/13:15、開会/13:30
勉強会/13:35~14:35、交流会/14:40~15:40
会費;ワンコイン500円(飲み物込み)

勉強会講師:田中美智子さん(久留米でご活躍の「営業プロデューサー」)
HP:http://of-tanaka.com/
ファーマーズスタジオ;http://far-s.com/

主催/天草倶楽部
連絡先/096-367-9276
090-4343-7707(江浦誠)
「天草倶楽部コミュ」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2887514

上記の他の江浦さんへのアクセスは下記です。
E-mail;meuraster@gmail.com
URL;http://blog.goo.ne.jp/9sugo/http://sugo.otemo-yan.net/  
Posted by エントワークリンケージ at 13:43
Comments(6)TrackBack(0)注目の経営者・リードオフマン&ウーマン

2008年04月05日

イタリアで認められた、皿に絵を描く料理人・古畑圭一朗

今回は、番外編をお送りします。先日、深夜にふと見たテレビ。鹿児島は大口市出身の古畑圭一朗さんという、イタリアで3年連続でミシュランから星を獲得するシェフのルポでした。その感想を別のブログで書いたところ、今朝、ご本人から次のようなコメントが帰ってきました。

■本人です(笑)
はじめまして、偶然ネットサーフィン中に発見してしまいました古畑です。びっくりしました(笑)ブログに取り上げていただいていて。沢山の方から反響がありましてうれしい限りです。鹿児島では再放送も決定いたしました。4月18日(金)25:05~26:05 KTS 鹿児島テレビです。これからもどうぞよろしく。CIAO!!




古畑さんのこうした気配りが彼の人間性を表していますね。この番組、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、見ていないという方に、そのときのブログの記事を転載します。ちなみに、トスカーナは、「イタリア半島の北部に位置し、シエナ、ピサ、フィレンツェなど魅力的な古都が数多く存在する。ユネスコ世界遺産の数も多い。農業が大変に盛んで、ワイン、オリーブ、小麦などを生産している。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地」だそうです。



昨日(3/30)、九州ドキュメンタリーとして放映されている番組で昨年12月2日に放映された、KTS制作の「Buon Buon Buon」~皿に絵を描く料理人・古畑(こばた)圭一朗~の再放送を見ました。古畑任三郎ではありませんよ。イタリア・トスカーナにある「IL PATRIARCA」でシェフをまかされて、3年連続店の星を維持し続けている鹿児島出身の古畑圭一朗さんです。番組HPでは次のように紹介されています。



日本人の食生活にすっかり定着したイタリア料理。そのイタリア料理を学ぼうと、日本から毎年2000人以上の見習いコックがイタリアを訪れるという。しかし、そのほとんどは半年から2年ほどの短期で日本に帰ってしまう。「イタリアで修行」、その経歴は日本では大きな武器になるからだ。そんな中、あえてイタリアに残り勝負を挑み続ける日本人シェフがいる。その男の名は、古畑圭一朗(35)。鹿児島県大口市の出身。もともとはコンピューター業界のシステムエンジニア。ふとしたことがきっかけで料理の世界に飛び込んだユニークな経歴の持ち主だ。



古畑がつくる料理は、まさに芸術品。それが高く評価され、3年連続でミシュランから星を獲得。古畑がシェフをつとめるレストランは、イタリア・トスカーナ地方のとある田舎町にある。その地位は古畑が「技術・知識・人間性」すべてにおいてパーフェクトだと語るイタリア人シェフ、サルバトーレ氏から認められ、譲り受けたものだ。その時にサルバトーレ氏が残してくれた言葉が「皿に絵を描け」。そして、古畑の夢は、いつの日か恩師サルバトーレ氏を越えること…。


大口市といえば鹿児島でも熊本県人吉市などや宮崎県えびの市との県境で、鹿児島市内から車で2時間ほどの位置にあります。私は前職時代、多いときには月に一度は行っていたところですが、仕事で自治体に行く程度ですから観光はしたことがありません。そう言えば吉田拓郎さんはここで生まれたのではなかったでしょうか?

古畑さんの凄いところは、後述のプロフィールにあるように、料理の世界に入ったのが22才からで、渡伊後5年で一流シェフになったことでしょう。料理の世界、特に日本では一流と呼ばれるまでには数十年かかるものと思っていたので、このキャリアには驚きです。ちなみにこの写真は、「アンコウとファアグラの詰め物、サフランソース。アンコウを一晩マリネして臭みを抜き、鴨のフォアグラをスティック状に刺し、豚の網油で巻き焼き・蒸し揚げる。サフランソースと茹でた野菜を共に」(古畑さんHP)ですが、番組でも紹介されていました。



さらに、この一枚はスイカの彫刻。見事です。古畑さんは、イタリアでミケランジェロなどの彫刻に魅せられたといいます。料理は味に加え、目、香り、食感で楽しませる総合芸術と言ってもいいわけですから、師匠の「皿に絵を描け」という言葉をしっかり受け継いで、自分の表現手段としての料理に結実させているのですね。番組では大口市に帰省した古畑さんがイベントで氷の彫刻を彫っていたところも紹介されていました。



KEIICHIRO (プロフィール);1973年 鹿児島生まれ。鹿児島某専門学校卒業後、SEとして上京するが、ふとしたきっかけから大手町のイタリアレストランへ入店。3年後、渡伊。98年秋より、ローマのレストランで修行を始める。半年後トスカーナ州のレストランへ。のち、モリーゼ州、ウンブリア州などのレストランで働き、99年秋、現在の「IL PATRIARCA」へ入店。各担当をうけもち02年にセコンドシェフへ昇格。03年、「IL PATRIARCA」はミシェランから星を獲得。05年よりシェフを任されている。



http://happytown.orahoo.com/sasuraichef/
  
Posted by エントワークリンケージ at 06:47
Comments(0)TrackBack(0)番外編