2008年02月16日
スタイリッシュな支援を、社会起業家・西梅彰容(011)(下)
「やっぱり動かずにはいられなかった」西梅さんのもっと奥にある動機は何だったのか?私はそれを探るためにまず、これまでの彼女の24年間を振り返ってもらうことにしました。
それは彼女が小6のとき。「世界のしくみ」に関することを書いた本に出会います。その本の中に、「ストリート・チルドレン」のことが書かれていました。自分には何不足ない環境があるのに世界にはこうした環境で暮らしている子供たちがいることを知り、心を痛めた彼女は、「ユニセフに入りたい」と思ったそうです。「この国連職員になるために、私はそのために勉強しよう」と。
その向学心は高校受験で成果を発揮し、授業料全額免除の成績で入学します。小学校教諭だったお母様が西梅さんにこう切り出します。「あなたのために準備した授業料がお蔭で必要なくなりました。ついてはこの一部を恵まれない国の子供たちに寄付したいと思います」。クリスチャンのお母様はいつも彼女に「子供は神様に一番近いところにいる」と教えていました。以来、西梅さんは自分で収入を得はじめてからは今でも「チャイルド・スポンサー」という「里親」であり続けています。現在の「里子」はウガンダとバングラディッシュの子供たちです。
16歳。YMCA主催のワークキャンプ(スタディ・ツアー)でタイに行きます。そこで幹線道路下のスラム街で暮らす家族にめぐり会います。その家族はもともとタイの農村で暮らしていました。しかし不作などによる生活苦によりバンコクに出てきてしかし仕事は無く、ゴミ捨て場から使えそうな物を拾って売り、家族4人で一日3~400円程で暮らしていました。そこで西梅さんは通訳を通じて「農村にいた頃と今ではどちらが幸せですか?」というシンプルな質問をします。「それは、もちろん農村にいた頃です。あの時は朝、目が覚めると『ああ、朝だな』、日が暮れると『夜のなったな』と感じることができた。でもここは、一寸の光も差し込まず、朝なのか昼なのかわからないから。でも、農村では暮らしていけないから帰ることはできな」という返答でした。彼女はこのことに衝撃を受けます。
彼らの暮らしぶりをまざまざと見て、「夜、安心して眠ることは、平和の象徴なんだ」と彼女は考えるようになります。この体験を契機に西梅さんは、「人間の存在って何だろう?人間の営みって何だろう?自分の生きて行く理由って何だろう?」と考えるようになります。そう思った彼女は、養老孟司さんの著書「唯脳論」などを通じて、生物学的視点、社会行動学的視点のクロスするところにその答えがある筈だという仮説を立てました。(16歳でここまで考えるとは・・・)
こういったことを大学でも学ぼうと思った西梅さんは目標にする大学探しを始めますが、いっこうに目当ての学部を見つけられませんでしたが、一つだけ該当する学部がありました。それは東京大学教養学部でした。目標が定まったその日から西梅さんの猛勉強が始まります。毎日12時間。しかし、このストイックなまでのハードな勉強が彼女の心を蝕んでいきました。そして、うつ病と診断されるまでに彼女の心は衰弱してしまったのです。
彼女の残る高校生活2年間は心の癒しへの時間に費やされることになりました。その間、西梅さんは、県主催の「少年の船」(http://ksfl-web.com/pc/)で沖縄へ何度か訪れます。他にも奄美や鹿児島、静岡、冬の長野、新潟を訪れている中で、自然と子供の関わりの大切さを感じ、同時に、この経験を通して、何の価値も見いだせなかった自分の中に「好奇心」があることを自覚します。
高校を卒業し19歳になった彼女は、何かに誘われるかのようにNGOの活動のためインド、バングラディシュへ。このときカルカッタでマザー・テレサの施設「死を待つ人の家」を訪れます。そこで、西梅さんは路上で死んでいく人たちを目の当たりにします。幼い頃から常に生と死について考えてきた彼女の中では、常に自殺願望がありました。しかし、この光景を見た彼女に「でも、犬死はしたくない」という気持ちが生まれたのです。
そして、数年後に旅行で訪れたベトナムでも衝撃を受けます。ベトナムの純朴な人々、肥沃なメコン川、美しい農村の風景、色とりどりに咲き乱れる野生の花々、木からもぎってすぐに食べられる果物、豊かで美しくてまるで天国のような場所だと感動します。そしてそのあと、西梅さんはベトナム戦争博物館を訪れるのです。ベトナム戦争の実態をはじめて知った彼女は放心状態になるほどの衝撃を受けます。こんな美しいところへ枯葉剤を撒き、あらゆる戦闘機器を駆使し罪のない人々を次々と殺戮し拷問し、そして意味のない戦いとして終わった。この事実に触れ、西梅さんは、自分は何もしないまま死んではいけない、と、世界にあふれる不条理をそのままにしてはいけないと強く思うのです。
その後、西梅さんは友達からの誘いで、熊本が本社でカフェを運営する会社に入ります。ここで4年間勤める中で、彼女はコーヒー豆の生産と流通に阻む経済格差問題を知ることになります。どうも彼女の目には普通の人では見過ごしそうなことも、透視をするようにはっきりとした形で異常な実態が映し出されるようです。農産物などにはこうした不公平な事態を是正すべく「フェア・トレード」というシステムがあることを学びます。
既に熊本の三店舗、福岡の一店舗の運営指導の立場になっていた彼女は、「とのかく今、何かできることをしよう」と思い立ちます。コーヒー豆の生産と流通に潜む途上国と先進諸国の経済格差問題と、そのような不公平な事態を是正する「フェア・トレード」という新しい流通システムを知った彼女は全店舗のコーヒー豆に利用したものに切り換えることを経営サイドに提案し、GOサインをもらいます。了解は取ったものの、彼女の前には「コストを上げない、質を落とさない」というハードルが大きく立ちはだかりました。この難題に数ヶ月をかけて集中します。
苦労を重ねたのち、今年の5月にやっと全てがクリアになり準備が整いました。いよいよ明日からこの新しい豆に切り換えてスタートという日になんと突如、ストップがかかってしまったのです。苦渋の経営判断があったのです。そして、頓挫した計画とともにハードワークがたたり、西梅さんは倒れてしまいました。7月から12月まで休職を余儀なくされました。彼女にとって二度目の大きな挫折でした。
そして、この間に抜け殻化した彼女が出会ったのが、福岡の街頭で販売されていた一冊の雑誌、「ビッグイシュー」でした。ホームレスの人々の自立支援をするこの一冊が、西梅さんの再起を促すことになりました。
私はいつものようにこの事業の目標をうかがいました。「メディアから今回の『ビッグイシュー熊本』の立ち上げに関する取材でよく聞かれんですね。それは、まず現在販売員のお二人に自立してもらうことです。自分たちができる範囲で一歩一歩やっていこうと思っています」。
しかし西梅さんには「ビッグイシュー熊本」の活動を通じて、日本での市民活動のあり方を変えたいという大きな目標があります。彼女は次のように語ってくれました。
「こういう支援活動を行うものは、どこか地味で、お人よし、宗教じみているという偏見があるんです。でも、私は消費社会を謳歌している人間です。買い物も好き、おしゃれも好き、おいしいものも食べたい、そんな人間です。ストイックなんて言葉とはかけ離れています。でも、私の個人的な希望は、お洒落なカフェでOLや子育て中のママさんが『私の里子がね・・・』って、日常会話で話されるような、そんなスタイリッシュな支援活動がなされる社会になること。これからの支援活動・社会活動は決してストイックである必要はないんだと思います。むしろこの消費社会の中ではその方が、多くの人の賛同を得られると思います。矛盾しているように思えるかもしれませんが、早く、一人でも多くの人を助けるためには、矛盾を飲み込むことも必要だと私は思っています」。
自然体でこの「ビッグイシュー熊本」と歩んで生きたいと語る西梅さんに、私はそれでの天邪鬼的に将来の彼女を想像してもらいました。すると、「貧困問題に命を懸けて取り組めるようなジャーナリストになることです」という即答が返ってきました。穏やかではありません。しかし、これまで「死」といつも寄り添うように生きてきた西梅さん、そして「好奇心」「行動力」「犬死したくない」というキーワードがそこにピッタリとはまってしまうことに気づくのです。前半の記事を見た西梅さんから次のようなメッセージが届きました。
私には「後悔」という思考回路がないようです。だから、先の心配をあまりせずに動くことができるんでしょうね。私はクリスチャンではありませんが『すべては益にかえられる』『神様のなさることは時にかなってすべて美しい』という聖書の言葉を信じています。そして、「運命」は自分ではコントロールできないものだということを。私は、自分の運命を受け入れることができたとき、はじめて心に平穏が訪れました。
そして、自殺を何度も何度も考えたとき、「なぜ自分はこんなに死にたいんだろう」と一生懸命考えた結論が・・・滑稽かもしれませんが・・前世の私は自殺をしたのではなかろうかと、それを今世で克服するためにこんな「(精神的に)死と対峙する」試練を与えられているのではないかと。そうとしか思えないくらい死がいつもそばにありました。
だから、今世の私の一番の目標は自殺しないことです。天命を全うすることです。それできっといいんだろうと思っています。そして、自分にも人にも物事にも「素直」に接したい。とってもシンプルです。
「やっぱり動かずにはいられなかった」西梅さんのもっと奥にある動機は何だったのか?ここまで聞いて、私はちゃんとその動機を理解できたように思います。そして、最後にもうひとつ、しかし、「やっぱり動かずにはいられなかった」西梅さんのほんとうの動機は、福岡の路上でこの雑誌を買った山本さんが書いていてた一編の詩でした。そして、偶然にも時を同じくして『ビッグイシュー熊本』の設立の一週間後に山本さんは職を得て自立されたのです。
「真っすぐに」
走ることが 嫌になったら 歩けばいい
ゆっくり ゆっくり 歩けばいい
歩くことに 疲れたら ゆっくり ゆっくり
休めばいい
でも あなたを待っている人がいる
早く会いたいと 待っている人がいる
さあ 立ち上がり 走りだそう
あなたを待っている 人のところへ
まっすぐに まっすぐに 迷わずに
ただ まっすぐに
それは彼女が小6のとき。「世界のしくみ」に関することを書いた本に出会います。その本の中に、「ストリート・チルドレン」のことが書かれていました。自分には何不足ない環境があるのに世界にはこうした環境で暮らしている子供たちがいることを知り、心を痛めた彼女は、「ユニセフに入りたい」と思ったそうです。「この国連職員になるために、私はそのために勉強しよう」と。
その向学心は高校受験で成果を発揮し、授業料全額免除の成績で入学します。小学校教諭だったお母様が西梅さんにこう切り出します。「あなたのために準備した授業料がお蔭で必要なくなりました。ついてはこの一部を恵まれない国の子供たちに寄付したいと思います」。クリスチャンのお母様はいつも彼女に「子供は神様に一番近いところにいる」と教えていました。以来、西梅さんは自分で収入を得はじめてからは今でも「チャイルド・スポンサー」という「里親」であり続けています。現在の「里子」はウガンダとバングラディッシュの子供たちです。
16歳。YMCA主催のワークキャンプ(スタディ・ツアー)でタイに行きます。そこで幹線道路下のスラム街で暮らす家族にめぐり会います。その家族はもともとタイの農村で暮らしていました。しかし不作などによる生活苦によりバンコクに出てきてしかし仕事は無く、ゴミ捨て場から使えそうな物を拾って売り、家族4人で一日3~400円程で暮らしていました。そこで西梅さんは通訳を通じて「農村にいた頃と今ではどちらが幸せですか?」というシンプルな質問をします。「それは、もちろん農村にいた頃です。あの時は朝、目が覚めると『ああ、朝だな』、日が暮れると『夜のなったな』と感じることができた。でもここは、一寸の光も差し込まず、朝なのか昼なのかわからないから。でも、農村では暮らしていけないから帰ることはできな」という返答でした。彼女はこのことに衝撃を受けます。
彼らの暮らしぶりをまざまざと見て、「夜、安心して眠ることは、平和の象徴なんだ」と彼女は考えるようになります。この体験を契機に西梅さんは、「人間の存在って何だろう?人間の営みって何だろう?自分の生きて行く理由って何だろう?」と考えるようになります。そう思った彼女は、養老孟司さんの著書「唯脳論」などを通じて、生物学的視点、社会行動学的視点のクロスするところにその答えがある筈だという仮説を立てました。(16歳でここまで考えるとは・・・)
こういったことを大学でも学ぼうと思った西梅さんは目標にする大学探しを始めますが、いっこうに目当ての学部を見つけられませんでしたが、一つだけ該当する学部がありました。それは東京大学教養学部でした。目標が定まったその日から西梅さんの猛勉強が始まります。毎日12時間。しかし、このストイックなまでのハードな勉強が彼女の心を蝕んでいきました。そして、うつ病と診断されるまでに彼女の心は衰弱してしまったのです。
彼女の残る高校生活2年間は心の癒しへの時間に費やされることになりました。その間、西梅さんは、県主催の「少年の船」(http://ksfl-web.com/pc/)で沖縄へ何度か訪れます。他にも奄美や鹿児島、静岡、冬の長野、新潟を訪れている中で、自然と子供の関わりの大切さを感じ、同時に、この経験を通して、何の価値も見いだせなかった自分の中に「好奇心」があることを自覚します。
高校を卒業し19歳になった彼女は、何かに誘われるかのようにNGOの活動のためインド、バングラディシュへ。このときカルカッタでマザー・テレサの施設「死を待つ人の家」を訪れます。そこで、西梅さんは路上で死んでいく人たちを目の当たりにします。幼い頃から常に生と死について考えてきた彼女の中では、常に自殺願望がありました。しかし、この光景を見た彼女に「でも、犬死はしたくない」という気持ちが生まれたのです。
そして、数年後に旅行で訪れたベトナムでも衝撃を受けます。ベトナムの純朴な人々、肥沃なメコン川、美しい農村の風景、色とりどりに咲き乱れる野生の花々、木からもぎってすぐに食べられる果物、豊かで美しくてまるで天国のような場所だと感動します。そしてそのあと、西梅さんはベトナム戦争博物館を訪れるのです。ベトナム戦争の実態をはじめて知った彼女は放心状態になるほどの衝撃を受けます。こんな美しいところへ枯葉剤を撒き、あらゆる戦闘機器を駆使し罪のない人々を次々と殺戮し拷問し、そして意味のない戦いとして終わった。この事実に触れ、西梅さんは、自分は何もしないまま死んではいけない、と、世界にあふれる不条理をそのままにしてはいけないと強く思うのです。
その後、西梅さんは友達からの誘いで、熊本が本社でカフェを運営する会社に入ります。ここで4年間勤める中で、彼女はコーヒー豆の生産と流通に阻む経済格差問題を知ることになります。どうも彼女の目には普通の人では見過ごしそうなことも、透視をするようにはっきりとした形で異常な実態が映し出されるようです。農産物などにはこうした不公平な事態を是正すべく「フェア・トレード」というシステムがあることを学びます。
既に熊本の三店舗、福岡の一店舗の運営指導の立場になっていた彼女は、「とのかく今、何かできることをしよう」と思い立ちます。コーヒー豆の生産と流通に潜む途上国と先進諸国の経済格差問題と、そのような不公平な事態を是正する「フェア・トレード」という新しい流通システムを知った彼女は全店舗のコーヒー豆に利用したものに切り換えることを経営サイドに提案し、GOサインをもらいます。了解は取ったものの、彼女の前には「コストを上げない、質を落とさない」というハードルが大きく立ちはだかりました。この難題に数ヶ月をかけて集中します。
苦労を重ねたのち、今年の5月にやっと全てがクリアになり準備が整いました。いよいよ明日からこの新しい豆に切り換えてスタートという日になんと突如、ストップがかかってしまったのです。苦渋の経営判断があったのです。そして、頓挫した計画とともにハードワークがたたり、西梅さんは倒れてしまいました。7月から12月まで休職を余儀なくされました。彼女にとって二度目の大きな挫折でした。
そして、この間に抜け殻化した彼女が出会ったのが、福岡の街頭で販売されていた一冊の雑誌、「ビッグイシュー」でした。ホームレスの人々の自立支援をするこの一冊が、西梅さんの再起を促すことになりました。
私はいつものようにこの事業の目標をうかがいました。「メディアから今回の『ビッグイシュー熊本』の立ち上げに関する取材でよく聞かれんですね。それは、まず現在販売員のお二人に自立してもらうことです。自分たちができる範囲で一歩一歩やっていこうと思っています」。
しかし西梅さんには「ビッグイシュー熊本」の活動を通じて、日本での市民活動のあり方を変えたいという大きな目標があります。彼女は次のように語ってくれました。
「こういう支援活動を行うものは、どこか地味で、お人よし、宗教じみているという偏見があるんです。でも、私は消費社会を謳歌している人間です。買い物も好き、おしゃれも好き、おいしいものも食べたい、そんな人間です。ストイックなんて言葉とはかけ離れています。でも、私の個人的な希望は、お洒落なカフェでOLや子育て中のママさんが『私の里子がね・・・』って、日常会話で話されるような、そんなスタイリッシュな支援活動がなされる社会になること。これからの支援活動・社会活動は決してストイックである必要はないんだと思います。むしろこの消費社会の中ではその方が、多くの人の賛同を得られると思います。矛盾しているように思えるかもしれませんが、早く、一人でも多くの人を助けるためには、矛盾を飲み込むことも必要だと私は思っています」。
自然体でこの「ビッグイシュー熊本」と歩んで生きたいと語る西梅さんに、私はそれでの天邪鬼的に将来の彼女を想像してもらいました。すると、「貧困問題に命を懸けて取り組めるようなジャーナリストになることです」という即答が返ってきました。穏やかではありません。しかし、これまで「死」といつも寄り添うように生きてきた西梅さん、そして「好奇心」「行動力」「犬死したくない」というキーワードがそこにピッタリとはまってしまうことに気づくのです。前半の記事を見た西梅さんから次のようなメッセージが届きました。
私には「後悔」という思考回路がないようです。だから、先の心配をあまりせずに動くことができるんでしょうね。私はクリスチャンではありませんが『すべては益にかえられる』『神様のなさることは時にかなってすべて美しい』という聖書の言葉を信じています。そして、「運命」は自分ではコントロールできないものだということを。私は、自分の運命を受け入れることができたとき、はじめて心に平穏が訪れました。
そして、自殺を何度も何度も考えたとき、「なぜ自分はこんなに死にたいんだろう」と一生懸命考えた結論が・・・滑稽かもしれませんが・・前世の私は自殺をしたのではなかろうかと、それを今世で克服するためにこんな「(精神的に)死と対峙する」試練を与えられているのではないかと。そうとしか思えないくらい死がいつもそばにありました。
だから、今世の私の一番の目標は自殺しないことです。天命を全うすることです。それできっといいんだろうと思っています。そして、自分にも人にも物事にも「素直」に接したい。とってもシンプルです。
「やっぱり動かずにはいられなかった」西梅さんのもっと奥にある動機は何だったのか?ここまで聞いて、私はちゃんとその動機を理解できたように思います。そして、最後にもうひとつ、しかし、「やっぱり動かずにはいられなかった」西梅さんのほんとうの動機は、福岡の路上でこの雑誌を買った山本さんが書いていてた一編の詩でした。そして、偶然にも時を同じくして『ビッグイシュー熊本』の設立の一週間後に山本さんは職を得て自立されたのです。
「真っすぐに」
走ることが 嫌になったら 歩けばいい
ゆっくり ゆっくり 歩けばいい
歩くことに 疲れたら ゆっくり ゆっくり
休めばいい
でも あなたを待っている人がいる
早く会いたいと 待っている人がいる
さあ 立ち上がり 走りだそう
あなたを待っている 人のところへ
まっすぐに まっすぐに 迷わずに
ただ まっすぐに
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この記事へのコメント
私が知らないところで、こんなにもがんばっていらっしゃる彰容さんを知ることができ、とっても嬉しく、またとっても励みになりました。これからも、無理をせずがんばってください。応援しています。私もがんばります!!
Posted by さっと at 2008年02月22日 17:41
「さっと」さん、コメントありがとうございます。彰容さんは「自然体でいきます」と語ってくれたので、大丈夫だと思います。これからも応援してあげてくださいね。
Posted by 後藤愼一 at 2008年02月24日 08:07
なにげなく見かけるビッグイシューですが、こんなに熱い方の思いが詰まっているんですね。
Posted by pika@インタビューサイトSMPY管理人 at 2009年01月11日 01:32