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私、五十路手前の後藤愼一が、熊本で頑張る社長さんやオーナーさんを訪問し、創業の苦労話、これからの夢などあれやこれや聞いて、レポートします。
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2008年03月13日

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)

オープンから翌年、田中さんに香水業界のツアーへの参加の話が舞い込みます。香水の本場、フランス、パリ、そして冒頭で触れたグラースへの旅です。田中さんの店は順調に推移し、交通センター内テナントでの坪当たりの売上がトップになる程。旅費を捻出することにはなんら問題がない状態でした。田中さんは絶好のチャンスと、このツアーに申し込みます。

初めて訪れるフランスでしたが、田中さんが注目したのはパリではなく、グラースでした。街中が香っているのです。グラースの数ある精油工場の煙突からはもくもくと煙が出ていますが、それは黒煙ではなく、バラなどから精油を抽出するための蒸留過程で出る水蒸気でした。この水蒸気によってグラースは「世界で唯一結核患者のない街」と言われ、「アロマテラピーの原点の地」だとされるそうです。田中さんは研究室への見学にも刺激され、そこの先生方と記念撮影など撮って楽しい時間を過ごしました。

日本に帰った田中さんは、また子育てと仕事に追われる日々の中に戻っていました。そんな年の夏、交通センターに向かう途中で夕立に合います。一瞬の雨で温まった地面が蒸されたかのような蒸気を立てます。それと同時に、花壇の土からスミレの精油を抽出しているような香りが漂ってきたのです。田中さんの脳裏は一瞬にしてあのグラースの光景とシンクロしていました。「いても立ってもいられなくなく」病が再発しました。

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)


最初の訪問からまだ半年。田中さんは再びグラースの地にいました。たった一人で。田中さんは前回のルートを思い出しながら、前回訪れた研究所を目指します。田中さんが話せるフランス語は「ボンジュールとグラース」だけ。「片言でも気持ちは通じるものよ」と。到着した研究所の進入制止バーを軽く潜り抜け、制止しようとする警備員のフランス語に「ボンジュール」と応えながら、一気にエントランスまで。

エントランスには三人の女性が待ち構えていたそうです。おそらく「あなたは誰ですか?」とか「何をしに来たのか」と問われたはずです。田中さんは「私は半年前にこの研究所にきた日本人です。研究室の先生に会うためにはるばる日本から来たのです」と日本語で伝えたようです。しかし、田中さんの目にもその女性たちが、明らかに「帰れ」と言っているのはわかっていました。

しかしここまで来て引き下がることができないのが、田中さんです。田中さんはあろうことか、その三人の女性の間を潜り抜け、走り出したのです。目的の研究室へのルートはまだ記憶に新しい。その研究室まで一気に駆け抜ける作戦、いや衝動でした。走る田中さん、追う三人のフランス人。階段を駆け上り、お目当ての研究室の扉をノックし、突入。扉の向こうには、きょとんとした先生の姿。

田中さんはバッグから去年一緒に先生と撮影した写真を素早く取り出し、「覚えていますか?私です。先生に会いに日本からまた来たのです」と、多分何語ともとれない言葉で訴えたのでした。そのとき、「追っ手」の三人が部屋に駆け込んできました。先生は、「大丈夫だよ。下がっていいよ」(多分)と彼女たちを返しました。

先生のデスクの前に座った田中さんの鼻先にすーっと試験紙が差し出されます。田中さんは「ローズ?」と答える。「ウィ」と先生。「次は?」とこういうやり取りが暫く続いたそうですが、良く考えると奇妙な光景ですよ。先生はフランス語で語りかけ、田中さんは笑って「ウィ」と応え続けます。そして、弾む(?)会話を通じて、言葉での会話はできないままでも心は満たされていました。

先生との再会を果した田中さんは、グラースの町を大手を振って歩き回ったそうです。話に聞き入っていた私は、「それで、その先生に会いに行かれた今回の目的はなんだったんですか?」と尋ねました。すると「先生に会いたかっただけよ」と。恐るべし、肥後の女。

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)


帰国後も田中さんはお店でパフューマーに会った話をしながら、心は次にグラースを訪ねることしかなかったそうです。そして次ぎの年、また次ぎの年とグラースとその先生を訪ねる中で、田中さんにはこの先生から「そんなに香りが好きなら、ここで勉強しませんか?」と言われたように聞こえたそうです。

田中さんは、一回目のフランスツアーでコーディネーターをやっていた日本人パフューマーにこの間、何通か手紙を書いていたそうですが、これまで返事が返ってこなかったそうです。ところが、数回目の訪問のとき、偶然にも彼からコンタクトがあったのです。パリに戻った田中さんはそのパフューマーに先ほどの先生とのやり取りを話しました。以来、そのパフューマーとは家族ぐるみのお付き合いだそうです。

熊本に帰った田中さんのもとへ、暫くして彼から連絡が入りました。「来年の2月にこちらに来られますか?入学が許可されることになりましたよ。私が推薦人になっておきましたから」と。そのスクールとは世界的にも有名なグラース市の由緒ある香料会社のラボ(研究室)でした。通常であれば大手化粧品メーカーなどの取引先から、しかも数人しか入学できないラボです。田中さんが断る理由はありませんでした。

それから10年後、田中さんは(有)パフューマークラブを設立。お店もさすがに手狭になり、さらに5年後、新市街に店舗「香りの16区」を移転します。時は1990年。開業から15年目のことでした。ちなみに「16区」とは、「パリの16区」からのインスピレーション。1960-70年代まで、ブルジョワエレガンスがここパリ16区に住む人々の特徴でした。20世紀初頭の建築という視点から言っても一番美しい場所、美しい言葉が残る場所の一つに数えられるといいます。

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)


田中さんは満を持したように、翌年、厚生省から化粧品製造許可を取得し、NHK福岡文化センターでフレグランススクールを開校。更に1993年にはNKK熊本文化センターに同校熊本校を開校、熊本市政策審議懇談会委員、熊本市香りの森建設委員会委員の役職を務められます。

そして、2001年、熊本県から「県の香りマイスター」に任命されます。更に、翌年、厚生省より化粧品輸入許可を取得。続いて臭気判定士協会の理事に就任。そして、同年、フランスパフューマ―(調香師)協会の正会員になられます。今では、東京とグラースにもオフィスを構えておられます。田中さんのグラースへの訪問回数は既に50回以上にも及んでいるそうです。

すっかりグラース通となった田中さんは、かねてからグラース市長にパフューマー養成スクールの開設を打診していました。そして2003年についに、それが「Grasse Institute Perfumery(GIP)」という形で実現することになりました。今では各国からこのスクールへの入校依頼が殺到し、日本人枠が狭められるほどの人気になってしまっているそうです。

田中さんが福岡と熊本で開校したフレグランススクール(パフューマー・香りのスペシャリスト養成スクール)は既に33期生にまで達しています。卒業生の中には世界的に有名な香料会社の香料研究所に入社し活躍している方もいらっしゃいます。

この田中さんが今取り組まれているものには、「香りによる空間演出」、「高齢化社会とアロマコロジーを考える会」、「国際香りと文化の会」などがありますが、詳しくはHPを参照いただくとして、私が最も注目したいのは「九州香りアイランド構想」というプロジェクトです。

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)


九州の恵まれた自然環境では、今でも森林浴、海水浴、太陽浴、温泉浴、花香浴をいたるところで楽しむことができます。これに新たに「芳香浴」をテーマにしたアグリ・レジャーランドを築こうというものです。香りのある植物を植え、それを抽出することによって新しい農業の新しい分野が広がることに貢献したいというものです。

減反政策や後継者の問題で人手の加わらなくなった田畑で季節の花々や香りのある植物を栽培する。「それは、売る花々や植物であってもいいし、グラースのように蒸留施設を作って精油精製をしてもいい。蒸留施設が出来る事によってその地域は豊かな香りの水蒸気で覆われ、アロマテラピー効果を発揮してそこに住む人々を心身ともに癒すことができる。その香りに誘われ、観光客も呼べるかもしれない」と田中さん。

グラースでは土地柄、主食になるような作物をつくることはできません。それだからこそ、かんきつ類などは実、皮、葉、更には種に至るまで抽出する技術を確立しているそうです。そんなグラースを見ているからこそ、田中さんには九州のこの素晴しい環境が野放しになっていることに残念な思いがあります。

例えば、ご当地の香り、四季の香りを香水にすること。田中さんは熊本市からの依頼を受け、
●森の都「森のかたらい」・・・リフレッシュ用
●水の都「川のささやき」・・・リラックス用
●肥後六花「花らんらん」・・・高揚(明るい成分)
という3部作の「くまもとの香り」を創作しています。

また、八代の名産・晩白柚の香りを抽出した香水もあります。これは、(社)熊本県物産振興協会
からH19年度の優良商品金賞を受賞されています。更に、これに晩白柚を使った焼酎、ジャム、石鹸などをセットにすることによって、晩白柚自体の付加価値を高める。そして、八代のあの駅前の臭いのイメージを晩白柚の香りで一掃することができないか?これは私が後付で勝手に妄想したものですが・・・。

香りの伝道師、「香水の16区」田中貴子(15)(下)


2006年11月、今の「香水の16区」にお店を移転し、今では熊本市桜町に香水抽出用のラボも作りました。最後になりますが、田中さんと「香水の16区」に関する一番ホットなニュースは、なんと「東大」「NASA」、そして「紙飛行機」がキーワード。「香り」の無重力、あるいはマッハの世界での影響を研究するプロジェクトにも参加しておられるのです。詳しくは、
http://www.yamaguchi.net/archives/005142.html)で。

とにかく「動き回るのが好きな」一人の主婦が、自分の居場所、やりがいを求めて駆け抜けた33年間。留まることが嫌いな田中さんの駆け足は、とうとう宇宙科学研究の領域にまで達していました。他にも老人介護、目の不自由な方へのサポート役としての「香り」の可能性の研究などなど田中さんの頭の中にはやりたいことが一杯です。熊本から世界へ、香りの伝道師は今日も駆けずり回ります。


香水専門店「香水の16区」;
〒860-0845 熊本市上通町5-6-1F
TEL:096(325)0418 FAX:096(326)8709
ホームページ;http://www.pluto.dti.ne.jp/~kaori16/
E-mail;kaori16@pluto.dti.ne.jp
営業時間:11:00~20:00休み:無休

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この記事へのコメント
私が通っていた頃はまだ下通りだったので、でもとても上品なのにパワーを感じて…大人の自立した女性だと感じました。凄い方だったのだと、改めて分かり何十倍の感動に変わりました。ありがとうございますm(_ _)m
Posted by ほんわか at 2008年03月13日 20:20
「ほんわか」さん、喜んでいただけたようで何よりです。今度是非、田中さんのお店に寄ってみてくださいね。
Posted by 後藤愼一 at 2008年03月14日 08:15
田中さん・・ファンになりました!
30年前と変わらない笑顔・・
しっかりと、私の目を見つめて、覚えてます!
と言われたときは「、え~っほんとかな」
と思いましたが・・

また、会ったとき言われるのか
楽しみにしています。
Posted by きょん at 2010年06月01日 17:25
 
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