2008年04月15日
からだから人生の看護へ、FP広瀬美貴子の挑戦(20)
第20回目のゲストは、㈱Fineプロデュース代表取締役・広瀬美貴子さん。広瀬さんのことはFMKに出演されていた番組を聞いて知りました。そのとき、子供たちに金銭教育、キャリア教育を施すことの重要性について、「世の中のすべてにおける分野で、自分で気づき・考えて・行動する教育。世の中のことを伝える教育が必要で、学校と家庭と地域との連携、家庭が社会へ巣立つための経験の場となるような親子のかかわりやコミュニケーションが大切」だという思いを語っておられたのが印象的でした。
いつかはお会いしたいなと思っていたころ、第17回目のゲスト・西田ミワさんにお話を伺った際、西田さんから尊敬する女性としてご紹介を受けたのがその広瀬さんでした。また、そのときにいただいた「夢を形に・起業家たちの人間力」という本に、前回の江浦誠さんと一緒に執筆陣の一人として登場されていたのが広瀬さんでした。不思議なご縁です。そして、お会いする前にHPや本などでご経歴を拝見してみて、その縦横無尽な活躍ぶりに目を見張ったのでした。

広瀬さんの現在の肩書きは、次のようになっています。「ファイナンシャル・プランナー」、「金融知力普及協会認定インストラクター」、「キャリアカウンセラー(JCDA認定)」、「産業カウンセラー」、「FP協会熊本県支部幹事」、「熊本県金融広報アドバイザー」。掲載記事を読むと、広瀬さんの職業人としてのスタートは看護師となっていました。一見すると全く畑違いのこれらの肩書きがいつ、どんな経緯で移り変わっていったのか、関心が高まったのでした。
広瀬さんの詳しいご経歴、事業の内容についてはリンクを張ったHPやパブリシティなどで後程確認していただくとして、私の興味は、看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯と、これからどんな方向へ進まれようとしていらっしゃるのかということです。今回、学校での講演やワークショップで連日ご多忙の中の一時間をいただきお話をいただきました。
広瀬さんは高校卒業を前にご両親から県立大学への進学を薦められますが、心中秘かに「東京に行きたい」という思いを募らせていた広瀬さんは、心臓病で長く苦しんだお兄様へとの関わりと、東京にあって全寮制、奨学金支給という魅力もあいまって看護師を志すことに決めます。品川区五反田にある関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)附属高等看護学院への受験を願い出て、ご両親の承諾を得られました。そして、13倍の難関を突破し見事に入学を果されます。

25年前の当時、関東逓信(ていしん)病院は日本で最先端のシステムを導入していて、すでにコンピュータ化もかなり進んでいたそうです。また、授業では講師陣も優秀な先生方に学び、看護も医療チームの一員としての役割を実践で学ばれました。学院卒業後は、看護師として勤務早々ながらも9日間の休暇が与えられ、この休暇を使って海外旅行を経験されたりと、申し分のない社会人としてのスタートでした。折りしも二年後、小学校の同級生だった彼が大学生として上京して来て再会。ここで大人の恋も芽生えます。このときの大学生は、後のご主人です。
しかしながら、この世の春は、咲き誇る桜の花が瞬く間に散りゆくように、そう長くは続きませんでした。お父様が突然倒れられて、熊本へ帰ることを余儀なくされたのです。憧れの東京での暮らしはあえなく三年間で幕引きとなりました。同時に、彼との都合四年間の遠距離恋愛の始まりでもありました。後ろ髪を惹かれる思いで熊本に戻った広瀬さんは、熊本赤十字病院に就職されます。
熊本赤十字病院といえば県内でも屈指の病院ですが、当時でも県内では先端の病院であったはずです。しかしながら、広瀬さんが東京で勤めていたのは日本で最先端の病院でした。この二つの病院の医療体制の大きな隔たりを前に広瀬さんは愕然とします。東京では看護に専念できた日々でしたが、熊本では休みを取ることもままならい忙しさに加え、看護以外の事務作業が追い討ちをかけました。(あくまで当時の話です)広瀬さんの中で、カルチャーショックと看護師が医療チームとして認めらないことへのストレス、そして体力的な消耗が、看護師としての希望を次第に失わせていきました。
「自分にとって看護師という職業は一生続けていける仕事なのだろうかという疑問がわいたんですね」。この間、広瀬さんの中で、お父様が40歳で起業されていたこともあって、組織の中で仕事をするよりも、自分で起業したいという思いが芽生えだしました。「漠然とでしたが、私も40までに起業をしたいなと思うようになったんです」と。
そんな鬱屈とした日々の中で、意中の彼が熊本の銀行に就職を果し、戻って来ました。長かった遠距離恋愛が一気に燃え上がり、平成2年2月に結婚。広瀬さんは、ご主人の意向もあって結婚退職の道を選ばれます。その後三人の子宝に恵まれ、専業主婦の生活を過ごされますが、三度目の出産後にご自分の今後の人生に目を向けられるようになった広瀬さんは、簿記とコンピュータの勉強を始められます。
結婚から6年後、広瀬さんは、とある小さな株式会社に勤めることになります。そこで、総務・経理・労務を担当する中、社内の若者たちの多重債務状況とそのかかわりを通して、金銭教育の必要性を強く意識されるようになりました。元看護師としての職業的意識が、心の医療ともいうべきカウンセラーへと変質して芽生えたのがこの時期でした。
「『金銭教育』をするためにお金のプロになりたいと思ったときに知ったのがファイナンシャル・プランナーだったんです」。この資格を取るための勉強の時間を作るために仕事もパートに切り換え、車を使う営業の仕事をするようになられます。「遠距離を走る仕事でしたが、私にとっては車の中でテープを聴きながら勉強できたいい時間でした」と楽しい思い出を話すように語られましたが、夜は子育てが終わって11時頃まで、朝は4時起きという五ヶ月間に及ぶ勉強を続けておられました。
「夜11時頃に寝ることが質の良い睡眠になるというので、それなら4時起きでもいけるかなって思ってやってました」。この成果あって、念願のファイナンシャル・プランナーの資格を取得。次に、自分が伝えたいことをきちんと相手に伝える技術の必要性を感じた広瀬さんは、「NPO法人金融知力普及協会認定インストラクター」養成講座も受講をしました。「自らの活動の中で、セミナーを開催するときに必要となる、効果的に話す方法や、アイコンタクトのとりかた、質問の投げかけ方やシナリオの組み立て方などを学ぶことができました」。目標に向かって一気に邁進する広瀬さんの行動力に脱帽です。
しかし取得直後の活動は思うようには進みませんでした。「金銭教育の活動をしたくても無名だったため、活動の場がありませんでした」。そんな中、初めは、自分がやりたいと思っている方向性と同じ内容について開催しているセミナーやワークショップに手伝いとして参加したり、チラシ配布やDM発送などきっかけを掴むための地道な努力が続きます。
そんな中、九州の金銭教育では草分け的存在の方のセミナーに参加したことがきっかけでその方のサポートをするようになられます。その後、講師を任されるようになり一人で鹿児島や沖縄に飛び回る日々を過ごされます。そして、資格取得から1年半ほど過ぎたころ、初めて訪れたチャンスが、お子さんが通う学校のPTA主催の「金銭教育」のセミナーでした。
そして、2004年12月、念願の自主開催でのワークショップを企画・開催。以降ワークショップを続け、その都度プレスリリース(ニュースリリース)をいろいろなメディアに送ったところ、後にメディアからの取材につながり、新聞に取り上げてもらうなど、広瀬さんの名前と活動が少しずつ認知されるようになりました。9月に投げ込んだDMが半年後のレスポンスに繋がりました。
この雌伏の日々の活動が、厳しい寒さに耐えた桜の蕾が時期を得て力強い花を咲かせるように、広瀬さんのもとへ様々なオファーを舞い込ませました。「市の登録講師となり、県の金融広報委員会からの依頼で金融広報アドバイザーになり、市の総合女性センター、公民館などで講師をさせていただくなど、活動の場が拡がりました」と。

広瀬さんの活動実績を見ると、学校関係のセミナーでの講演が実に多いのですが、ここでの話は次ぎの信念に根ざした内容になっています。
「子供たちが手にするお小遣いはどこから来るのか?それはもちろん、ご両親の収入からです。言いかえればご両親の『稼ぎ』の中からです。この『稼ぐ』ことの意味を問いかけなければいけないと思っているんです。つまり、金銭教育とキャリア教育は車の両輪なんですね」。
現在、広瀬さんの視線は学生から社会人へと広がっています。「より良く働く人のための支援は、結果的に企業収益の向上につながるんです。ストレスを抱えて保健室で過ごしてきた子供たちが、将来社会人になったときにストレスを発散する場がない。そんな場を提供していきたいんですね。企業へのカウンセリングと人材教育のアウトソーシングを目指しています」。
広瀬さんから「EAP」という言葉を聞きました。「Employee Assistance Program」の略で、「従業員のメンタルヘルス対策支援。社員が抱える職場や家族、健康に関する悩みへの相談を受け付ける体制作りのこと。生産性の向上や優秀な人材の離職防止といった効果がある」手法です。
EAPの具体的な活動内容には、(1)社員の啓もう、(2)電話や電子メール、対面によるカウンセリング、(3)部下との接し方やストレス除去法の教育研修、(4)専門医への紹介などがあります。上司が問題意識のない社員を相談に行くように促したり、気軽に社員が相談できる体制作りまで実施する点が特徴。EAPを導入すれば、社員の欠勤や医療費の削減につながります。さらに、社員の悩みを無くし快適に働ける職場作りをすることで、生産性を向上したり、優秀な人材の流出を阻止するといった効果も期待できます。(日経情報ストラテジー2002/10/29)
実際、カウンセリングの資格を持ちながら、この資格を活かせない方々が少なくないといいます。広瀬さんの目標は、県内の企業経営者に、従業員の方々のストレスを解消することで結果的に収益につながるということを理解してもらい、こういったソフトへの投資を活発化させること。そうすることで潜在カウンセラーたちの活躍の場を提供することにもつながるという狙いです。
さらに、広瀬さんの視線には企業の資金調達の支援活動も入っています。「現在、公的機関による助成金をはじめ、経済産業省や中小企業基盤機構などの様々な機関、財団等から出されているもので、実は3,000種類位あるんですね。ただこうした制度について余りにも情報不足です。特に中小企業にとっては返さなくても良い資金である助成金の存在は貴重な財源です。もちろん所定の審査はありますが、内容によっては数千万~億単位の助成金を受けることも可能なんです。私たちはこの助成金獲得への書類作成などのサポートができます」。
三年後の広瀬さんはどうなっているのかをご本人に尋ねてみました。「仕事をとってくるのが経営者の本質だとしたら、私はそうした経営者にはなれないと思います。自分の手や言葉で直接関わって行きたいんです。そういった意味では、三年後も今と同じ。それに加えてコーディネーターをやっているかもしれません。カウンセリングのアウトソーシングを実現したいんです」。
私が広瀬さんを知ったFMKの番組で司会者が広瀬さんに「社会の看護師みたいですね」と言ったことが、「ちょっぴり嬉しかったですね」と話す広瀬さん。冒頭で私は、「看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯」と書きましたが、広瀬さんにとってそれは「転進」ではなく、「階段を上る」ことだったんだなと思うようになりました。それは、「からだの健康」から「こころの健康」の看護への夢の途中なのだと思うようになりました。
最後に「県知事になれと言われたら何から手をつけたいですか?」と唐突な質問を投げかけてみました。「んー、やりたいことはたくさんありますが・・・。まずは、中学校教育の現場改革ですね。社会につながった教育改革。キャリア教育のできる先生を増やしたいですね。金銭教育、キャリア教育、法教育、食教育、環境教育などは産業界や法曹界、専門家などとの交流が大切です。これまでの教育界の垣根を取っ払って、社会に繋がった教育を実現したいです」と、そのお応えには全く迷いがありませんでした。

週末は阿久根、都城への講演活動に向かうという広瀬さん。今後の更なるご活躍に期待します。そして、蒲島新知事に、広瀬美貴子さんを政策ブレーンとして採用されることをお奨めして、終わります。
<株式会社Fineプロデュースの理念>
Fineな人生 働く人々に、イキイキとした自分らしい仕事人生をプロデュース
Fineな企業 がんばる企業に、人的資源・資金・信用力アップをプロデュース
Fineな社会 働く人と企業のFineで、より良い社会の実現を目指す!
株式会社Fineプロデュース 広瀬 美貴子
〒860-0085 熊本市高平2-25-45日進ビル302号
Tel 096-346-0611 Fax 096-346-0610
E-mail info@fine-produce.co.jp
All Aboutメールマガジン「フォーエル」連載記事「話題のおシゴトに就きたい」
http://forl.allabout.co.jp/L/popularjob/060503/lr04305/
いつかはお会いしたいなと思っていたころ、第17回目のゲスト・西田ミワさんにお話を伺った際、西田さんから尊敬する女性としてご紹介を受けたのがその広瀬さんでした。また、そのときにいただいた「夢を形に・起業家たちの人間力」という本に、前回の江浦誠さんと一緒に執筆陣の一人として登場されていたのが広瀬さんでした。不思議なご縁です。そして、お会いする前にHPや本などでご経歴を拝見してみて、その縦横無尽な活躍ぶりに目を見張ったのでした。

広瀬さんの現在の肩書きは、次のようになっています。「ファイナンシャル・プランナー」、「金融知力普及協会認定インストラクター」、「キャリアカウンセラー(JCDA認定)」、「産業カウンセラー」、「FP協会熊本県支部幹事」、「熊本県金融広報アドバイザー」。掲載記事を読むと、広瀬さんの職業人としてのスタートは看護師となっていました。一見すると全く畑違いのこれらの肩書きがいつ、どんな経緯で移り変わっていったのか、関心が高まったのでした。
広瀬さんの詳しいご経歴、事業の内容についてはリンクを張ったHPやパブリシティなどで後程確認していただくとして、私の興味は、看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯と、これからどんな方向へ進まれようとしていらっしゃるのかということです。今回、学校での講演やワークショップで連日ご多忙の中の一時間をいただきお話をいただきました。
広瀬さんは高校卒業を前にご両親から県立大学への進学を薦められますが、心中秘かに「東京に行きたい」という思いを募らせていた広瀬さんは、心臓病で長く苦しんだお兄様へとの関わりと、東京にあって全寮制、奨学金支給という魅力もあいまって看護師を志すことに決めます。品川区五反田にある関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)附属高等看護学院への受験を願い出て、ご両親の承諾を得られました。そして、13倍の難関を突破し見事に入学を果されます。

25年前の当時、関東逓信(ていしん)病院は日本で最先端のシステムを導入していて、すでにコンピュータ化もかなり進んでいたそうです。また、授業では講師陣も優秀な先生方に学び、看護も医療チームの一員としての役割を実践で学ばれました。学院卒業後は、看護師として勤務早々ながらも9日間の休暇が与えられ、この休暇を使って海外旅行を経験されたりと、申し分のない社会人としてのスタートでした。折りしも二年後、小学校の同級生だった彼が大学生として上京して来て再会。ここで大人の恋も芽生えます。このときの大学生は、後のご主人です。
しかしながら、この世の春は、咲き誇る桜の花が瞬く間に散りゆくように、そう長くは続きませんでした。お父様が突然倒れられて、熊本へ帰ることを余儀なくされたのです。憧れの東京での暮らしはあえなく三年間で幕引きとなりました。同時に、彼との都合四年間の遠距離恋愛の始まりでもありました。後ろ髪を惹かれる思いで熊本に戻った広瀬さんは、熊本赤十字病院に就職されます。
熊本赤十字病院といえば県内でも屈指の病院ですが、当時でも県内では先端の病院であったはずです。しかしながら、広瀬さんが東京で勤めていたのは日本で最先端の病院でした。この二つの病院の医療体制の大きな隔たりを前に広瀬さんは愕然とします。東京では看護に専念できた日々でしたが、熊本では休みを取ることもままならい忙しさに加え、看護以外の事務作業が追い討ちをかけました。(あくまで当時の話です)広瀬さんの中で、カルチャーショックと看護師が医療チームとして認めらないことへのストレス、そして体力的な消耗が、看護師としての希望を次第に失わせていきました。
「自分にとって看護師という職業は一生続けていける仕事なのだろうかという疑問がわいたんですね」。この間、広瀬さんの中で、お父様が40歳で起業されていたこともあって、組織の中で仕事をするよりも、自分で起業したいという思いが芽生えだしました。「漠然とでしたが、私も40までに起業をしたいなと思うようになったんです」と。
そんな鬱屈とした日々の中で、意中の彼が熊本の銀行に就職を果し、戻って来ました。長かった遠距離恋愛が一気に燃え上がり、平成2年2月に結婚。広瀬さんは、ご主人の意向もあって結婚退職の道を選ばれます。その後三人の子宝に恵まれ、専業主婦の生活を過ごされますが、三度目の出産後にご自分の今後の人生に目を向けられるようになった広瀬さんは、簿記とコンピュータの勉強を始められます。
結婚から6年後、広瀬さんは、とある小さな株式会社に勤めることになります。そこで、総務・経理・労務を担当する中、社内の若者たちの多重債務状況とそのかかわりを通して、金銭教育の必要性を強く意識されるようになりました。元看護師としての職業的意識が、心の医療ともいうべきカウンセラーへと変質して芽生えたのがこの時期でした。
「『金銭教育』をするためにお金のプロになりたいと思ったときに知ったのがファイナンシャル・プランナーだったんです」。この資格を取るための勉強の時間を作るために仕事もパートに切り換え、車を使う営業の仕事をするようになられます。「遠距離を走る仕事でしたが、私にとっては車の中でテープを聴きながら勉強できたいい時間でした」と楽しい思い出を話すように語られましたが、夜は子育てが終わって11時頃まで、朝は4時起きという五ヶ月間に及ぶ勉強を続けておられました。
「夜11時頃に寝ることが質の良い睡眠になるというので、それなら4時起きでもいけるかなって思ってやってました」。この成果あって、念願のファイナンシャル・プランナーの資格を取得。次に、自分が伝えたいことをきちんと相手に伝える技術の必要性を感じた広瀬さんは、「NPO法人金融知力普及協会認定インストラクター」養成講座も受講をしました。「自らの活動の中で、セミナーを開催するときに必要となる、効果的に話す方法や、アイコンタクトのとりかた、質問の投げかけ方やシナリオの組み立て方などを学ぶことができました」。目標に向かって一気に邁進する広瀬さんの行動力に脱帽です。
しかし取得直後の活動は思うようには進みませんでした。「金銭教育の活動をしたくても無名だったため、活動の場がありませんでした」。そんな中、初めは、自分がやりたいと思っている方向性と同じ内容について開催しているセミナーやワークショップに手伝いとして参加したり、チラシ配布やDM発送などきっかけを掴むための地道な努力が続きます。
そんな中、九州の金銭教育では草分け的存在の方のセミナーに参加したことがきっかけでその方のサポートをするようになられます。その後、講師を任されるようになり一人で鹿児島や沖縄に飛び回る日々を過ごされます。そして、資格取得から1年半ほど過ぎたころ、初めて訪れたチャンスが、お子さんが通う学校のPTA主催の「金銭教育」のセミナーでした。
そして、2004年12月、念願の自主開催でのワークショップを企画・開催。以降ワークショップを続け、その都度プレスリリース(ニュースリリース)をいろいろなメディアに送ったところ、後にメディアからの取材につながり、新聞に取り上げてもらうなど、広瀬さんの名前と活動が少しずつ認知されるようになりました。9月に投げ込んだDMが半年後のレスポンスに繋がりました。
この雌伏の日々の活動が、厳しい寒さに耐えた桜の蕾が時期を得て力強い花を咲かせるように、広瀬さんのもとへ様々なオファーを舞い込ませました。「市の登録講師となり、県の金融広報委員会からの依頼で金融広報アドバイザーになり、市の総合女性センター、公民館などで講師をさせていただくなど、活動の場が拡がりました」と。

広瀬さんの活動実績を見ると、学校関係のセミナーでの講演が実に多いのですが、ここでの話は次ぎの信念に根ざした内容になっています。
「子供たちが手にするお小遣いはどこから来るのか?それはもちろん、ご両親の収入からです。言いかえればご両親の『稼ぎ』の中からです。この『稼ぐ』ことの意味を問いかけなければいけないと思っているんです。つまり、金銭教育とキャリア教育は車の両輪なんですね」。
現在、広瀬さんの視線は学生から社会人へと広がっています。「より良く働く人のための支援は、結果的に企業収益の向上につながるんです。ストレスを抱えて保健室で過ごしてきた子供たちが、将来社会人になったときにストレスを発散する場がない。そんな場を提供していきたいんですね。企業へのカウンセリングと人材教育のアウトソーシングを目指しています」。
広瀬さんから「EAP」という言葉を聞きました。「Employee Assistance Program」の略で、「従業員のメンタルヘルス対策支援。社員が抱える職場や家族、健康に関する悩みへの相談を受け付ける体制作りのこと。生産性の向上や優秀な人材の離職防止といった効果がある」手法です。
EAPの具体的な活動内容には、(1)社員の啓もう、(2)電話や電子メール、対面によるカウンセリング、(3)部下との接し方やストレス除去法の教育研修、(4)専門医への紹介などがあります。上司が問題意識のない社員を相談に行くように促したり、気軽に社員が相談できる体制作りまで実施する点が特徴。EAPを導入すれば、社員の欠勤や医療費の削減につながります。さらに、社員の悩みを無くし快適に働ける職場作りをすることで、生産性を向上したり、優秀な人材の流出を阻止するといった効果も期待できます。(日経情報ストラテジー2002/10/29)
実際、カウンセリングの資格を持ちながら、この資格を活かせない方々が少なくないといいます。広瀬さんの目標は、県内の企業経営者に、従業員の方々のストレスを解消することで結果的に収益につながるということを理解してもらい、こういったソフトへの投資を活発化させること。そうすることで潜在カウンセラーたちの活躍の場を提供することにもつながるという狙いです。
さらに、広瀬さんの視線には企業の資金調達の支援活動も入っています。「現在、公的機関による助成金をはじめ、経済産業省や中小企業基盤機構などの様々な機関、財団等から出されているもので、実は3,000種類位あるんですね。ただこうした制度について余りにも情報不足です。特に中小企業にとっては返さなくても良い資金である助成金の存在は貴重な財源です。もちろん所定の審査はありますが、内容によっては数千万~億単位の助成金を受けることも可能なんです。私たちはこの助成金獲得への書類作成などのサポートができます」。
三年後の広瀬さんはどうなっているのかをご本人に尋ねてみました。「仕事をとってくるのが経営者の本質だとしたら、私はそうした経営者にはなれないと思います。自分の手や言葉で直接関わって行きたいんです。そういった意味では、三年後も今と同じ。それに加えてコーディネーターをやっているかもしれません。カウンセリングのアウトソーシングを実現したいんです」。
私が広瀬さんを知ったFMKの番組で司会者が広瀬さんに「社会の看護師みたいですね」と言ったことが、「ちょっぴり嬉しかったですね」と話す広瀬さん。冒頭で私は、「看護師であった広瀬さんがファイナンシャル・プランナーに転進するまでの経緯」と書きましたが、広瀬さんにとってそれは「転進」ではなく、「階段を上る」ことだったんだなと思うようになりました。それは、「からだの健康」から「こころの健康」の看護への夢の途中なのだと思うようになりました。
最後に「県知事になれと言われたら何から手をつけたいですか?」と唐突な質問を投げかけてみました。「んー、やりたいことはたくさんありますが・・・。まずは、中学校教育の現場改革ですね。社会につながった教育改革。キャリア教育のできる先生を増やしたいですね。金銭教育、キャリア教育、法教育、食教育、環境教育などは産業界や法曹界、専門家などとの交流が大切です。これまでの教育界の垣根を取っ払って、社会に繋がった教育を実現したいです」と、そのお応えには全く迷いがありませんでした。

週末は阿久根、都城への講演活動に向かうという広瀬さん。今後の更なるご活躍に期待します。そして、蒲島新知事に、広瀬美貴子さんを政策ブレーンとして採用されることをお奨めして、終わります。
<株式会社Fineプロデュースの理念>
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Fineな社会 働く人と企業のFineで、より良い社会の実現を目指す!
株式会社Fineプロデュース 広瀬 美貴子
〒860-0085 熊本市高平2-25-45日進ビル302号
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