2008年02月05日
絵を通してアフリカの人々を支援したい、画家・渡辺真希子(8)
第八回目のゲストは、第四回目に登場いただいた黒田恵子さんにご紹介を受けた、河原町の「africa animal Jogoo」の経営者であり画家の「ado」こと渡辺真希子さん。この「africa animal Jogoo」では、アフリカにまつわるグッズとadoさんが描いた絵、カードなどを売っています。レトロな感じのショップの佇まいにピッタリの小物たちや絵画が溢れています。adoさんは、石川県のご出身でした。

そもそも石川県出身のadoさんがなぜ熊本くんだりまで来ることになったのか、最初に疑問に思って質問しました。大学進学にあたって動物に関わる勉強、仕事がしたいと考えたadoさん。畜産学部のある大学をいろいろ探して、寒いのが苦手の彼女が選んだのが、南国・「火の国」熊本の「火山」阿蘇の麓にある九州東海大学でした。adoとasoちょっと似ていますが、熊本の特に阿蘇の冬は底冷えの寒さだとは知らずに・・・。adoさんにとっては大きな誤算でした。
まずは、adoさんがこの地にお店を構えるようになったいきさつを辿っておきましょう。とにかくadoさんを語るには、アフリカと動物がキーワード。彼女がアフリカにとりつかれたのは、小学校の高学年。この頃からアフリカに行きたくて貯金を始めたそうです。動物好きでもあった彼女は中学生になると獣医に憧れます。そして、高三のとき、ケニア初の日本人獣医師・神戸俊平さんの「動物のお医者さん」という本を友人にもらったことが彼女のDNAのスイッチをオンにしたのでした。彼女は手紙で熱烈なラブコールを送るようになります。
この動物好きが高じて畜産課(現在は農学部 応用動物科学科)に入学して早々に、adoさんの元に憧れの神戸さんから返事が届くのです。そして積もり続けた思を吐き出すような「居候させてほしい」という願いが受け入れられ、2年生の春になると神戸さんがいるケニアへ旅立つのです。Adoさんにとっては初めての海外旅行。小学生から貯めてきた資金を元手のシンガポール→ドバイ経由の旅でした。この神戸さんについては、「アフリカと神戸俊平友の会ホームページ」(http://www.s-kambevet.org/)をチェックしてみてください。

adoさんが絵を描き始めたのはこのアフリカに行ってから。マサイ族の人たちに絵を描いて渡したところ彼らに大変喜ばれたことがきっかけでした。ここで二番目のDNAのスイッチがオンに。絵については特に習ったこともなく、画家に興味があったわけではないadoさんでした。しかし、お話をうかがうと、ご本人はさほど意識しておられない様子でしたがadoさんのお父様、渡辺卓氏は実は画家でした。
(http://members2.jcom.home.ne.jp/takashi-watanabe/)
(お父様のブログ; http://totomu49.mo-blog.jp/toto/)
アフリカから帰った彼女は、大学から近い温泉地の内牧(うちのまき)にあるアジア・アフリカの雑貨を扱うショップでバイトを始めます。そこでadoさんは持て余す時間に絵を描いていました。あるときその絵を店に置いてみたところその作品が売れたのです。ここで三番目のDNAがオン。「絵で生活したい」。しかし、その思いは秘めたまま、彼女は大学を卒業すると、熊本市動植物園の嘱託職員となります。

山から下りたadoさんは、熊本市でこの河原町のプロジェクトを知り、前述の黒田恵子さんから個展を開かないかと声をかけられたことをきっかけに、ここで店を構えることを決めました。当面の彼女の目標は、まずこの商店街一体で個展をやること。adoさん所蔵の作品は、絵画で50作品、adoさんが筆を入れたTシャツが100枚、トートバッグが100個。文字通り、売るほどありますね。
そして、彼女の大きな夢は、まず自分の絵を全国の人に知ってほしいという願いと、その絵を通してアフリカの人々のための支援活動を行うこと。きっと数年後には、日本とアフリカを頻繁に行き来するadoさんの姿があるでしょう。ちなみに、「ado」の由来をうかがうと、恥ずかしそうに、「高校生の頃からアフリカ、アフリカと言っていたので、友達からアドベンチャーのアドと呼ばれるようになりました」と告白されました。

adoさんへのアクセス:
「africa animal Jogoo」
場所:熊本県熊本市河原町2
営業:11時~20時 火曜定休(イベントなどで休む場合もあります)
電話&FAX 096-323-0124
HP「アド アフリカ アート」;http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/3659/
E mail;afro_ado156@yahoo.co.jp

そもそも石川県出身のadoさんがなぜ熊本くんだりまで来ることになったのか、最初に疑問に思って質問しました。大学進学にあたって動物に関わる勉強、仕事がしたいと考えたadoさん。畜産学部のある大学をいろいろ探して、寒いのが苦手の彼女が選んだのが、南国・「火の国」熊本の「火山」阿蘇の麓にある九州東海大学でした。adoとasoちょっと似ていますが、熊本の特に阿蘇の冬は底冷えの寒さだとは知らずに・・・。adoさんにとっては大きな誤算でした。
まずは、adoさんがこの地にお店を構えるようになったいきさつを辿っておきましょう。とにかくadoさんを語るには、アフリカと動物がキーワード。彼女がアフリカにとりつかれたのは、小学校の高学年。この頃からアフリカに行きたくて貯金を始めたそうです。動物好きでもあった彼女は中学生になると獣医に憧れます。そして、高三のとき、ケニア初の日本人獣医師・神戸俊平さんの「動物のお医者さん」という本を友人にもらったことが彼女のDNAのスイッチをオンにしたのでした。彼女は手紙で熱烈なラブコールを送るようになります。


adoさんが絵を描き始めたのはこのアフリカに行ってから。マサイ族の人たちに絵を描いて渡したところ彼らに大変喜ばれたことがきっかけでした。ここで二番目のDNAのスイッチがオンに。絵については特に習ったこともなく、画家に興味があったわけではないadoさんでした。しかし、お話をうかがうと、ご本人はさほど意識しておられない様子でしたがadoさんのお父様、渡辺卓氏は実は画家でした。
(http://members2.jcom.home.ne.jp/takashi-watanabe/)
(お父様のブログ; http://totomu49.mo-blog.jp/toto/)
アフリカから帰った彼女は、大学から近い温泉地の内牧(うちのまき)にあるアジア・アフリカの雑貨を扱うショップでバイトを始めます。そこでadoさんは持て余す時間に絵を描いていました。あるときその絵を店に置いてみたところその作品が売れたのです。ここで三番目のDNAがオン。「絵で生活したい」。しかし、その思いは秘めたまま、彼女は大学を卒業すると、熊本市動植物園の嘱託職員となります。

山から下りたadoさんは、熊本市でこの河原町のプロジェクトを知り、前述の黒田恵子さんから個展を開かないかと声をかけられたことをきっかけに、ここで店を構えることを決めました。当面の彼女の目標は、まずこの商店街一体で個展をやること。adoさん所蔵の作品は、絵画で50作品、adoさんが筆を入れたTシャツが100枚、トートバッグが100個。文字通り、売るほどありますね。
そして、彼女の大きな夢は、まず自分の絵を全国の人に知ってほしいという願いと、その絵を通してアフリカの人々のための支援活動を行うこと。きっと数年後には、日本とアフリカを頻繁に行き来するadoさんの姿があるでしょう。ちなみに、「ado」の由来をうかがうと、恥ずかしそうに、「高校生の頃からアフリカ、アフリカと言っていたので、友達からアドベンチャーのアドと呼ばれるようになりました」と告白されました。

adoさんへのアクセス:
「africa animal Jogoo」
場所:熊本県熊本市河原町2
営業:11時~20時 火曜定休(イベントなどで休む場合もあります)
電話&FAX 096-323-0124
HP「アド アフリカ アート」;http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/3659/
E mail;afro_ado156@yahoo.co.jp
2008年02月04日
美容室を元気にと起業した集客コンサルタント・倉崎好太郎(7)
今回のゲストは、熊本市で美容室に特化した集客コンサルティング業を起業した倉崎好太郎さん(29)です。倉崎さんにはパートナーで福岡拠点を担当する酒井慎介さんがいらっしゃいます。二人で立ち上げたのが「ありがとう」という会社。お二人は大学生当時のアルバイト先で知り合って、その後別々の道に進みますが、この事業を柱にしてまずは二人三脚の船出です。昨日は雨の中、わざわざ迎えに出向いていただいて、お話をうかがいました。

現在、美容室ではクーポン券、割り引き券、ポイントカードによる集客が常識化していますが、倉崎さんはこのような販売促進は実効力がないと判断し、全国でも実績を上げつつある携帯を使った顧客予約システムの導入を提案しています。詳しくは昨年11月にリニューアルした「ありがとう」のHPをご覧頂くとして、美容室での従来の販促方式では新規顧客の開拓にはつながらないということを私も何かの本で読んだことがありましたので、とてもいいとろころに目をつけたなと思った次第です。
倉崎さんに起業のきっかけをうかがうと、それは大学時代から芽生え始めた、「熊本にソフトバンクのような企業をつくり、地域に貢献したい」という思いでした。倉崎さんのお父様は国家公務員で幼い頃から各地を転々とする引越し生活でしたが、「この熊本に愛着があるんです」と話されました。
将来の目標をうかがうと、「壁に張ってあります」と私の背後を示されました。そこには、手書きで三枚の紙に、「2008年5月までに100本」、「2009年11月までに年商3,500万」、「2013年までに年商100億円」と力強く書かれていました。5年後に100億企業へ。んー、これは凄い。大きな目標すね。売上で考えると遠く見える数字ですが、ここは株式の店頭公開までの期間で置き換えてみてみましょう。
孫正義さんが福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立したのが1981年。ソフトバンク㈱の株式を店頭公開するのが1994年。その資金を元にM&AやIT関連企業への投資などを積極的に行う様になります。また、私がこの宣言を見て思い起こしたのが、今やTVで引っ張りだこの渡邊美樹さんでした。彼がワタミ㈱を設立したのが1984年。株式を店頭登録したのが1996年です。今を時めく経営者のお二人とも、店頭公開まではおよそ12年。
しかし、これは昔の話。今やネットの時代。カブドットコム証券㈱は、1999年(平成11年)11月19日創業から5年4カ月で東証1部直接上場を果していますし、三木谷浩史さんが楽天㈱を設立したのが1997年2月7日。株式店頭上場が、2000年4月19日ということですから、わずか3年余です。決して前例のない話ではありません。彼らに共通してあったのは、明確な目標とそのためのスケジュールでした。倉崎さんにもこの目標に向かって、一気に走ってほしいと思います。
また、倉崎さんには当面の100億円企業の達成への明確なイメージがあります。それは倉崎さんの前職企業。今では250億円企業で従業員およそ1,000名の企業での勤務経験があります。当然ながら組織の一員であることと、経営者であることには雲泥の差がありますが、この規模の会社でトップの鞄持ちから、採用・教育、宣伝、販促まで従事した実務経験は大きな財産です。
売上100億円を目指す起業家と言うと、イケイケ、強気のビジネスマンを想像されるかもしれませんが、実際の倉崎さんは温和で実に腰が低い方です。とにかく千里の道も一歩の現在、日夜地道な営業活動を続けています。美容室に特化した集客システムではありますが、同じような形態であるエステサロン・整体院・整骨院・ネイルサロンのお客様から導入したいという声も増えているそうです。
五年後の目標達成、そして、「ありがとう」ドーム、期待してます。
倉崎好太郎さん、「ありがとう」へのアクセス;
〒861-8075熊本市清水新地6-8-95
TEL;096-201-6490、FAX;096-201-7961
E-mail;kurasaki@arigato-cs.com
「ありがとう」HP;http://www.arigato-cs.com

現在、美容室ではクーポン券、割り引き券、ポイントカードによる集客が常識化していますが、倉崎さんはこのような販売促進は実効力がないと判断し、全国でも実績を上げつつある携帯を使った顧客予約システムの導入を提案しています。詳しくは昨年11月にリニューアルした「ありがとう」のHPをご覧頂くとして、美容室での従来の販促方式では新規顧客の開拓にはつながらないということを私も何かの本で読んだことがありましたので、とてもいいとろころに目をつけたなと思った次第です。
倉崎さんに起業のきっかけをうかがうと、それは大学時代から芽生え始めた、「熊本にソフトバンクのような企業をつくり、地域に貢献したい」という思いでした。倉崎さんのお父様は国家公務員で幼い頃から各地を転々とする引越し生活でしたが、「この熊本に愛着があるんです」と話されました。
将来の目標をうかがうと、「壁に張ってあります」と私の背後を示されました。そこには、手書きで三枚の紙に、「2008年5月までに100本」、「2009年11月までに年商3,500万」、「2013年までに年商100億円」と力強く書かれていました。5年後に100億企業へ。んー、これは凄い。大きな目標すね。売上で考えると遠く見える数字ですが、ここは株式の店頭公開までの期間で置き換えてみてみましょう。
孫正義さんが福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立したのが1981年。ソフトバンク㈱の株式を店頭公開するのが1994年。その資金を元にM&AやIT関連企業への投資などを積極的に行う様になります。また、私がこの宣言を見て思い起こしたのが、今やTVで引っ張りだこの渡邊美樹さんでした。彼がワタミ㈱を設立したのが1984年。株式を店頭登録したのが1996年です。今を時めく経営者のお二人とも、店頭公開まではおよそ12年。
しかし、これは昔の話。今やネットの時代。カブドットコム証券㈱は、1999年(平成11年)11月19日創業から5年4カ月で東証1部直接上場を果していますし、三木谷浩史さんが楽天㈱を設立したのが1997年2月7日。株式店頭上場が、2000年4月19日ということですから、わずか3年余です。決して前例のない話ではありません。彼らに共通してあったのは、明確な目標とそのためのスケジュールでした。倉崎さんにもこの目標に向かって、一気に走ってほしいと思います。
また、倉崎さんには当面の100億円企業の達成への明確なイメージがあります。それは倉崎さんの前職企業。今では250億円企業で従業員およそ1,000名の企業での勤務経験があります。当然ながら組織の一員であることと、経営者であることには雲泥の差がありますが、この規模の会社でトップの鞄持ちから、採用・教育、宣伝、販促まで従事した実務経験は大きな財産です。
売上100億円を目指す起業家と言うと、イケイケ、強気のビジネスマンを想像されるかもしれませんが、実際の倉崎さんは温和で実に腰が低い方です。とにかく千里の道も一歩の現在、日夜地道な営業活動を続けています。美容室に特化した集客システムではありますが、同じような形態であるエステサロン・整体院・整骨院・ネイルサロンのお客様から導入したいという声も増えているそうです。
五年後の目標達成、そして、「ありがとう」ドーム、期待してます。
倉崎好太郎さん、「ありがとう」へのアクセス;
〒861-8075熊本市清水新地6-8-95
TEL;096-201-6490、FAX;096-201-7961
E-mail;kurasaki@arigato-cs.com
「ありがとう」HP;http://www.arigato-cs.com
2008年02月03日
生活に花と緑の空間を提案するグリア代表・田上菜穂美(6)
堅く閉ざされた同じ扉を前に立ちながら思い悩んでじっと立ち竦む人と、その扉を叩き続けてこじ開けようとする人がいます。後者の人の方が、結果はどうであれ、一歩踏み出した分、得られる結果に対して次ぎの行動が取れ、また一歩前進することになります。誰にでもわかる理屈ですが、これを実行することは躊躇なく誰もができることではないのが現実ですね。

今日のゲストは、そんな扉の堅牢さに怯むことなく挑戦し続けるグリア代表・田上(たのうえ)菜穂美(なほみ)さんです。田上さんとのご縁は、第一回目の守屋尚さん、三回目の松岡雄一さんと同じく、昨年の創業塾にありました。田上さんは塾生の中でも最初から目立った存在でした。わからないことはその場で率直に質問し、とにかく前に進むんだという意欲に溢れた女性です。
彼女は今、(財)くまもとテクノ産業財団が運営するビジネス・インキュベーション「夢挑戦プラザ21」の創業準備室にオフィスを構えています。今回はそこへお邪魔してお話をうかがいました。入居棟のエントランスにはいきなり彼女のフラワーアレンジメントの作品と棟内で行われる予定の講座のチラシが置いてあり、その存在感をアピールしていました。
田上さんが目論む事業は、フラワーアレンジメントサークル及び教室の運営事業で、フラワーディスプレイ、イベントフラワーアレンジメント商品・資材の販売。田上さんがこの事業を考えるようになったのは、今から14年前の結婚式の体験から。今でこそオリジナルウェディングが注目されていますが、その当時は結婚式会場のメニューから選んでいくシステムが主流でした。そんな中でせめて花やブーケだけはオリジナルをと、衣装に合わせてそれぞれ白と赤いバラを100本ずつ使いたいと考えたことでした。
しかし、これを結婚式場に任せてしまうといくらかかるかわからない。そこで、田上さんは知り合いのバラ農家から安く仕入れ、自分で作業をすることにしました。自分の思いを来てくださった方々にこうした形で示したかったのですね。このときの花を使った演出に関する苦労が、彼女の潜在意識に刷り込まれたことになります。以後それは、結婚生活の中で静かに眠ることになります。
ところで、田上さんの夢に向かうときのこうした情熱的な行動能力は、天性のものかもしれないと思わせます。それは短大卒業時の就職に際し、頑張ったことが結果に結びつく職業ということで、デーィラーの営業職を選択したことでもわかります。しかし、その就職に最初の壁が立ちはだかります。その会社の営業職は四大卒以上が採用条件だったのです。彼女は不採用通知を前にいったん諦めますが、今度は同じ会社の事務職の募集を目にします。
当初は営業の仕事に反対だったご両親も、一流企業の事務職となれば安心と、もろ手をあげて賛成です。彼女にとっては不満足な形ではありましたが、二度目の面接ということもあり、最初のときとは違って打ち解けた雰囲気で終始。面接後の感触も上々。そして、田上さんに合格の一報が入ります。しかし、それはナント、営業職として採用したいというものでした。当初営業という仕事柄、年齢の問題で不採用になった彼女が、今度は一転して、彼女なら女性営業職として長く勤務できるという期待も加わり、特例で採用したいと言う理由となりました。入社後、彼女は並み居る男性同期営業マンを抑え、トップの成績を上げるのです。
しかしながら、女性の営業職という縛りが彼女の足を引っ張ります。本来なら会社として女性を守る制度が、彼女には差別に思えます。もっと活躍したいという気持ちにこれらの制度が足枷に感じられたのです。売りたくても売れない、そんなジレンマが彼女に転職を決意させます。あるアパレルの常連であった彼女にその販売担当者からヘッドハンティングの声がかかり、田上さんは請われるままに転進。そこで13年間勤務することになります。
そして彼女に新たな転機が訪れます。お子さんの出産とそれに伴って新たな仕事探しの必要性がでてきたのです。そんな折、フラワーアレンジメント講師の募集広告が目に留まったのです。眠っていた花への思いに火がつきました。そして、応募。しかし、不採用。お子さんが小さいことで勤務が難しいと判断されたのです。ここで再び田上さんの情熱が燃え上がります。先方に、どうしても諦めきれないと再検討依頼の手紙を出したのです。
この情熱に打たれた先方は、とりあえず研修だけの参加を認めたのです。結果的に20名の応募者の中から、最後に残ったのは田上さんを含めた5名。そして研修中に実技、学科ともトップの成績を収めます。その中で昨年の6月、最初に独立したのは彼女でした。そして、冒頭でお話した創業塾の塾生となります。
塾終了後、彼女の行動力は加速します。技術系起業を支援する(財)くまもとテクノ産業財団へ応募するのです。彼女は、花のある暮らしを提供していきたいこと、「私のように小さな子供がいても、やり甲斐のある仕事が、自分のペースでできる形態をつくっていきたい」ということを財団にプレゼン。彼女のプレゼンは見事に成功し、ここにオフィスを構えることになります。
田上さんのオフィスに行くと、ショーケースにコンパクトにアレンジされた花籠が並べられていました。それが実にみずみずしいのです。それらは「ブリザーブドフラワーです」と教えてくれました。「ブリザーブドフラワー」とは、「生花に有機物質や色素を花本来の力で吸い上げさせた花。発色がとてもよく、水やり不要で3年以上劣化しません。しっとりした感触があり、生でもなく、ドライフラワーでもなく、限りなく生の花に近い質感をもった今注目の花」だそうです。
田上さんの目下の目標は、現在稼動中の三つの教室で30名の生徒数を45名まで増やすこと。ここまでが一人でマネジメントできる範囲で、まずここを一つの到達点に。その後は講師を採用して教室を増やしていく方向だそうです。
最後に田上さんの将来の夢をお聞きしました。すると、「フラワーアレンジメントを軸にした学校を開校したい」と言う大きな構想でした。それは、「学校でありながら、花と緑の空間提案のためのエキシビションスペースです」と。花と緑が演出する場の提案、そのためのカフェ、庭園が用意され、訪れる人が容易にイメージを膨らませることの出来るそんな空間を作り出すのだと、田上さんの瞳が輝いていました。

この夢の実現のためにどのくらいの期間を考えているのかと聞いたところ、田上さんはあっさり、「私の中ではピークをこれから5年だと決めています」と。ただ現状とこの夢の間の大きなギャップの青写真はまだできていないそうです。しかし、そのためにこの施設のノウハウを借りるのだと、彼女なりの最短距離を計算した計画を立てているところが、田上さんらしいところです。勉強になりました。
田上さんへのアクセスは下記まで。
グリア;〒861-2202 熊本県上益城郡益城町田原2081-10夢挑戦プラザ21
ホームページ;http://greea.ecgo.jp
E-mail;greea087@gmail.com
田上さんブログ;http://greea.exblog.jp/
今日のゲストは、そんな扉の堅牢さに怯むことなく挑戦し続けるグリア代表・田上(たのうえ)菜穂美(なほみ)さんです。田上さんとのご縁は、第一回目の守屋尚さん、三回目の松岡雄一さんと同じく、昨年の創業塾にありました。田上さんは塾生の中でも最初から目立った存在でした。わからないことはその場で率直に質問し、とにかく前に進むんだという意欲に溢れた女性です。
彼女は今、(財)くまもとテクノ産業財団が運営するビジネス・インキュベーション「夢挑戦プラザ21」の創業準備室にオフィスを構えています。今回はそこへお邪魔してお話をうかがいました。入居棟のエントランスにはいきなり彼女のフラワーアレンジメントの作品と棟内で行われる予定の講座のチラシが置いてあり、その存在感をアピールしていました。
しかし、これを結婚式場に任せてしまうといくらかかるかわからない。そこで、田上さんは知り合いのバラ農家から安く仕入れ、自分で作業をすることにしました。自分の思いを来てくださった方々にこうした形で示したかったのですね。このときの花を使った演出に関する苦労が、彼女の潜在意識に刷り込まれたことになります。以後それは、結婚生活の中で静かに眠ることになります。
ところで、田上さんの夢に向かうときのこうした情熱的な行動能力は、天性のものかもしれないと思わせます。それは短大卒業時の就職に際し、頑張ったことが結果に結びつく職業ということで、デーィラーの営業職を選択したことでもわかります。しかし、その就職に最初の壁が立ちはだかります。その会社の営業職は四大卒以上が採用条件だったのです。彼女は不採用通知を前にいったん諦めますが、今度は同じ会社の事務職の募集を目にします。
当初は営業の仕事に反対だったご両親も、一流企業の事務職となれば安心と、もろ手をあげて賛成です。彼女にとっては不満足な形ではありましたが、二度目の面接ということもあり、最初のときとは違って打ち解けた雰囲気で終始。面接後の感触も上々。そして、田上さんに合格の一報が入ります。しかし、それはナント、営業職として採用したいというものでした。当初営業という仕事柄、年齢の問題で不採用になった彼女が、今度は一転して、彼女なら女性営業職として長く勤務できるという期待も加わり、特例で採用したいと言う理由となりました。入社後、彼女は並み居る男性同期営業マンを抑え、トップの成績を上げるのです。
しかしながら、女性の営業職という縛りが彼女の足を引っ張ります。本来なら会社として女性を守る制度が、彼女には差別に思えます。もっと活躍したいという気持ちにこれらの制度が足枷に感じられたのです。売りたくても売れない、そんなジレンマが彼女に転職を決意させます。あるアパレルの常連であった彼女にその販売担当者からヘッドハンティングの声がかかり、田上さんは請われるままに転進。そこで13年間勤務することになります。
そして彼女に新たな転機が訪れます。お子さんの出産とそれに伴って新たな仕事探しの必要性がでてきたのです。そんな折、フラワーアレンジメント講師の募集広告が目に留まったのです。眠っていた花への思いに火がつきました。そして、応募。しかし、不採用。お子さんが小さいことで勤務が難しいと判断されたのです。ここで再び田上さんの情熱が燃え上がります。先方に、どうしても諦めきれないと再検討依頼の手紙を出したのです。
この情熱に打たれた先方は、とりあえず研修だけの参加を認めたのです。結果的に20名の応募者の中から、最後に残ったのは田上さんを含めた5名。そして研修中に実技、学科ともトップの成績を収めます。その中で昨年の6月、最初に独立したのは彼女でした。そして、冒頭でお話した創業塾の塾生となります。
塾終了後、彼女の行動力は加速します。技術系起業を支援する(財)くまもとテクノ産業財団へ応募するのです。彼女は、花のある暮らしを提供していきたいこと、「私のように小さな子供がいても、やり甲斐のある仕事が、自分のペースでできる形態をつくっていきたい」ということを財団にプレゼン。彼女のプレゼンは見事に成功し、ここにオフィスを構えることになります。
田上さんの目下の目標は、現在稼動中の三つの教室で30名の生徒数を45名まで増やすこと。ここまでが一人でマネジメントできる範囲で、まずここを一つの到達点に。その後は講師を採用して教室を増やしていく方向だそうです。
最後に田上さんの将来の夢をお聞きしました。すると、「フラワーアレンジメントを軸にした学校を開校したい」と言う大きな構想でした。それは、「学校でありながら、花と緑の空間提案のためのエキシビションスペースです」と。花と緑が演出する場の提案、そのためのカフェ、庭園が用意され、訪れる人が容易にイメージを膨らませることの出来るそんな空間を作り出すのだと、田上さんの瞳が輝いていました。
この夢の実現のためにどのくらいの期間を考えているのかと聞いたところ、田上さんはあっさり、「私の中ではピークをこれから5年だと決めています」と。ただ現状とこの夢の間の大きなギャップの青写真はまだできていないそうです。しかし、そのためにこの施設のノウハウを借りるのだと、彼女なりの最短距離を計算した計画を立てているところが、田上さんらしいところです。勉強になりました。
田上さんへのアクセスは下記まで。
グリア;〒861-2202 熊本県上益城郡益城町田原2081-10夢挑戦プラザ21
ホームページ;http://greea.ecgo.jp
E-mail;greea087@gmail.com
田上さんブログ;http://greea.exblog.jp/
2008年02月02日
映画で心揺さぶろうと語る熊本クレア総支配人・吉田克己(5)

先日、めったに映画館に行かない私が、熊本・嘉島町AEONモールの熊本クレアで公開されていた「ベオウルフ/呪われし勇者」を観てきました。映画を観る前にふと、このシネコンの支配人とはどんな方なのだろうと思い立ち、チケットを購入した後でカウンターのスタッフの方に支配人にお会いしたいと申し出たところ、お忙しい中快く応じてくださいました。いきなり、インタヴューのお願いをしたところ、金曜日なら時間が取れるということで、先月25日に再訪しました。
そんな訳で、第五回目のゲストは㈱ワーナー・マイカル、ワーナー・マイカル・シネマズ熊本クレア「総支配人」の吉田克己さんです。ご挨拶すると、「映画のことならどんなことでもお話できますが、私のことは勘弁してください」と第一声。しかし、そうはいかないのがこのインタヴューシリーズです。とは言え、無理を言っているのはこちらですから、まずこの映画のことを前振りにしますね。

「出演者」というと少し変ですが、主役のレイ・ウィンストンこそちょっと格好良すぎますが、アンソニー・ホプキンス、ジョン・マルコヴィッチ、ロビン・ライト・ペンは実物そっくりに描かれています。それで口元の動きとセリフがぴったりと合っている。おそらく実写をデジタル3Dにしたのだろうと思いますが、この境目が途中でわからなくなる程の完成度でした。

この3D専用メガネは、通常のメガネの上からも装着が可能で、上映後持ち帰ることができます。今週末にでも是非見てほしい映画です。この映画が九州で観られるのは、福岡ルクルと熊本クレアのたった2箇所しかありません。全国でも20箇所だそうです。少なくとも映画好きの県内の方ならここまで来て見る価値は充分にあると思いますよ。

映画の宣伝(?)、吉田総支配人、これくらいで宜しいでしょうか?いやいや、ほんとに凄いんです、この3D映画。
さて、吉田さん。ご出身は佐賀県。1996年に九州で最初に出来た佐賀県WMC上峰開業に伴い入社。以来、当時全国で8サイト(劇場)だった箱が56サイトに急増。2005年10月10日の熊本クレア・オープンとともに熊本へ赴任されました。「総支配人」という立場としてのご苦労などをお聞きしたのですが、「いやいや、入社したタイミングが成長期だっただけで、人が追いつかなかっただけです」といたって謙虚です。
目下の課題は、土日以外の集客、特に夜の集客とか。そのために、ファーストデイ、レディスデイ、レイトショーなどのサービス料金を設定されています。「お客様には、このサービス枠を利用してもらい、より多くの映画を観ていただきたいんです」と熱く語られました。「映画によって心を揺さぶり、映画館でしか味わえない映画の世界、音響の素晴しさを味わってほしい」とも。
ご自分のことには謙虚な吉田さんも、この仕事にかける思いは隠せません。何ぶん現場オペレーションの裁量余地が少ない領域ではありますが、これからは特に「これまで映画どころではなかったはずの団塊の世代の方々に映画館にお越しいただきたい」とおっしゃいます。「そのための垣根を少しでもはずしていければ」と語られました。
また、8スクリーンある熊本クレアですが、自主上映、演劇、音楽などでも貸し出すことができるそうです。全体のスケジュールの問題もありますが応相談で可能ということでした。特にこの映画館のゆったりとした座席と音響は優れものです。パフォーマーにとっては、快適な環境で自分たちのパフォーマンスを見てもらえる絶好の箱だと思います。
最後に、このワーナー・マイカルに入社される前の吉田さんのことをお聞きしました。5年間某コピーメーカーのサービス・エンジニアを経て、10年程ご自分で小さな駄菓子屋系のお店を経営されていたそうです。商売は順調だった様でニ店舗目を検討中のところを、近隣に大手企業の出店が決まったことで閉店を決断されます。そして、現在は逆の立場と言うのですから、人生は皮肉なものですね。吉田さんには社内結婚で結ばれた同郷の奥様と3人のお子さんがいらっしゃいます。
吉田総支配人とお話して感じたことですが、話しぶりにその温厚な人柄が表れる方です。それは佐賀県民の特徴なのでしょうか?個人的にお願いしたのですが、この熊本におられる間に、どんな形であれ、熊本の映画文化の一躍を担っていただきたければと思います。映画人にはシネコン批判もありますが、吉田さんのお話からそれは、役割分担ということを忘れた議論だと、気づかされました。
皆さん、映画館に行きましょう。そして、映画に心を揺さぶられ、大いに泣き、大いに笑いましょう。
2008年02月01日
熊本の表現者を育てたい、ギャラリー経営者・黒田恵子(004)

ニューヨーク市のマンハッタン島南部(ダウンタウン)にソーホー(SoHo)と呼ばれる地域があることはよく知られています。今ソーホーと言えば、Small Office/Home Office(スモールオフィス・ホームオフィス)の略語「SOHO」の方を想起する人が多いかもしれませんが、「パソコンなどの情報通信機器を利用して、小さなオフィスや自宅などでビジネスを行っている事業者」といった意味で使われることでいけば、このニューヨークの地域に語源が辿れますね。
このソーホーは、芸術家やデザイナーが多く住む芸術家の町として1960年代から1970年代に掛けて知られるようになりました。この町についてウィキペディアでは次のように解説しています。

「さらに彼らの集うレストランやギャラリー、ライブハウスができ、多くの歴史に残る個展や朗読会などが開かれていた。1980年代以降、高感度な地区としてヤッピーたちや観光客が集まるようになり、のどかな雰囲気は急速に失われていく。ギャラリー街は主にチェルシー地区へ、芸術家やデザイナーらはその他ロウワー・イースト・サイド地区・トライベッカ地区・ノーホー地区・ノリータ地区・ハーレム地区へ移り、さらにそれらの地区も高級化してしまい現在はマンハッタンも出てブルックリンにまで移りつつある。近年は高感度な高級ブティック・レストラン街となっている」。
「ソーホーの語源は、ハウストン通り(Houston Street:ヒューストンとは発音しない)の南側に位置する地区(South of Houston Street)、という意味である。(より早くから繁華街として有名だったロンドンのソーホーを意識してもいる)。

「昔ながらの問屋さんたちとコミュニケーションを深めながら少しずつみんなの足並みをそろえて、もっともっと活気あるエリアにしていけたら」と語るのが「河原町文化開発研究所」副代表でのある黒田恵子さんです。私が今関わっている「まち育て塾」で、この河原町の活動を知り、今日突然お邪魔してお話をうかがいました。
黒田さんは、高校卒業後、モデルとして東京へ。その後テレビでタレント活動をされるなどして12年後に熊本に戻って、4年前にこのプロジェクトに出会い、この土地で「GALLERY ADO(ギャラリー・アドゥ)」を開業されました。屋号の由来をお尋ねしたところ、黒田さんがお好きなミュージシャンのシャーデーのヴォーカルの名前「アドュ」から取ったということでした。
後で「アドゥ」は、正しくは「Adu」だったことに気づかれますが、「ado」にも「から騒ぎ、騒動」の意味があることを発見され、この町に人を集め、騒がしい町にしたいという黒田さんの願いも表していることからそのままこの屋号に決めたということでした。
なぜギャラリーだったのか?うかがうと、もともと絵画鑑賞がお好きで、あるとき長野に旅行された際に立ち寄った画廊で、横浜の画廊主と知り合いになり、その画廊で働く事になったことで、熊本に帰ったらギャラリーをやろうと思われたそうです。ちなみに、その画廊主の奥様がフラワーコーディネーターだったことから、黒田さんもその道の修行も積まれています。
「GALLERY ADOギャラリー・アドゥ」は、一階がカフェで、二階がギャラリーになっています。この建物がまさに本家ソーホー顔負けのレトロ感覚溢れる空間です。聞けば、昭和33年頃に建てられたものとか。なんと私の生まれた年です。映画、「ALWAYS」の世界です。ギャラリーには熊本で画業に励む若者たちの作品が早く陽の当たるのを待つかのように展示してありました。
熊本の若い表現者に協力したいという黒田さんの店には、私がインタビューをしている間にもいろいろな若き表現者たちが入れ替わり立ち代り現れていました。自主映画をプロデュースする林さん、この町で同じくショップも経営する画家の渡辺さん、天草にある「海のピラミッド」の再生活動に燃える田中さんと村上さんと、あっという間に「一見」の客である私もお知り合いにさせてもらいました。

黒田さんの表現者たちへの思いは、彼らの横のつながりばかりではく、縦のつながりの必要性へとつながり、なんと日本を代表するアーティスト・日比野克彦さんに伝わります。それは、「河原町文化開発研究所」が月一回発行するミニコミ誌で、日比野さんへの単独インタビューに結実しています。「思考は現実化する」の好例ですね。
開業から4年たった黒田さんの現状の思いは、KAB熊本朝日放送が運営するウェブTV「まち×ひと」(http://www.machihito.tv/)の映像で知ることができます。そして、彼女の描く夢の先には、自分の手で表現者たちをプロデュースする舞台が待っています。「そのためにもまずここを成功させたい」と熱く語った黒田さんからオーラのようなパワーを感じました。
「GALLERY ADO」;熊本市河原町2
TEL;096-352-1930(OPEN;11:00~20:00)
http://www.just.st/303750
2008年01月31日
野山の再生にかけるロボット技術者・松岡雄一(003)

三人目のゲストは、昨年7/19に㈱J-botを設立した松岡雄一さん。社名の由来は、「Japanese robot」から。松岡さんとのご縁は、第一回目のゲスト、守屋尚さんと同じく「創業塾」の塾生としての出逢いからでした。創業塾は8/25からでしたから、このとき松岡さんは既に起業されていました。塾の最終日に分科会の代表者が発表したのですが、松岡さんはその一人でした。
松岡さんは1961年1月21日のお生まれ。そう、奇しくも私がインタヴューした日が47歳のお誕生日でした。私より学年でニ学年後輩になります。会社は八代郡氷川町宮原にあって、役場のすぐ近く。事務所はロボットの子供たちが点々と置かれ、お二人の男性がパソコンに向かって作業中のところをお邪魔してお話をうかがいました。
泉村で生まれこの地で育った松岡さんは、八代市内の高校を卒業されると、一時神奈川県に出られ、以降音響メーカーで18年、その後八代市の一般産業プラント、設計、製作、据付(各種サイロ、タンク、搬送・環境設備等)、省力化機器、企画、設計、製作(自動機、ロボット等)の事業を行うY社に転職し、10年間勤めて事業部長を最後に昨年起業されました。起業の理由は次のような気概からでした。
「『小さな町にあって、なぜロボットなのか?』と問いかけられたら、自信をもって答えられることがある。それは、小さな頃からアトム・鉄人・マジンガー・ゲッターロボジャイントロボ・ガンダムがいつか現れて平和な国になると皆が信じていたからだ。今度は形にして感動をつくり出すのは僕の役目だと信じているから歩き出す。この道は遠いけれど僕の後を誰かが続いてくれる。それが僕をTVに釘付けにした日本流ロボットの伝統だと信じたい」。(HPより)
松岡さんの目下の研究は、山間部農地でのカラス、猿、猪、鹿などによる鳥獣害対策を、無線を使った遠隔操作で駆除しようとするもの。私も前職で鳥獣害対策に関わったことがありましたが、私の前の会社が取った対策は猪、鹿を農地に入れない柵づくりで、松岡さんはこれを捕獲しようという狙いです。現在球磨地域で計画中の「捕獲→精肉加工→販売」という事業化を後押しするものです。
確かに防護柵だけでは、被害を他所へやるだけで真の問題解決にはならず、松岡さんがおっしゃる「山のものは山で処理する」という考え方が理に叶っています。現在は農家の高齢者夫婦が毎日捕獲箱を見回りに行かねばならず、肉体的にハードな状況ですが、松岡さんの技術を使えば捕獲時に自宅で感知することができ、無駄で危険な山歩きをなくすことが可能になります。
松岡さんのこれらの取り組みは、1/27(日)のRKKテレビの夕方18:00からの番組で紹介されるそうです。是非ご覧ください。松岡さんの夢は、無線、遠隔操作、ロボットの三つのキワードを使って、忘れ去られつつある農業や、高まる福祉対策などに貢献し、そこに雇用を生み出すこと。松岡さんの熱い思いは、ご自身の次ぎのことばに示されます。
~「けして夢ではない。。。。。」日本を支える産業である
故郷に雇用が生まれる
故郷の野山から発信できる唯一の技術である~
明日は、熊本市内のホテルで行われる産学官の研究発表会に出席し、発表されるそうです。大きな夢に向かって走り出した松岡さんですが、現在ご自分の技術を利用してくれる企業とのコラボも模索中です。この事業だけではなく、組み込みソフト開発、省力化サポートなどもお手軽な金額でやってくれるそうです。そして松岡さんが主宰するロボットクラブの会員も募集中とのことでした。お問い合わせは下記まで。
㈱J-bot;Tel&FAX 0965-62-3862
E-mail;matsuoka@J-bot.co.jp
ホーム・ページhttp://j-bot.co.jp
インタビューの帰りの車の中で、松岡さんからいただいた、自作の歌と演奏のCDを聞きながら家路に着きました。曲のタイトルは「あなたへ」。松岡さんらしい優しい歌声でした。
2008年01月30日
熊本の子育て支援に奮闘する元銀行員・野村順子(002)

第二回目のゲストは、2006年に「PO法人くらしコンシェルジュ」を立ち上げて、様々な講座やイベントを企画運営している、元気な二児のママさん野村順子さんです。今日はお忙しい中を抜け出してきていただいて、事業の立ち上げからの現在までの活動や今後の抱負などのお話をうかがいました。
私と野村さんの出逢いは、昨年の1月27日と2月24日に分けて行われた「男の生き方塾」という凄いタイトルの中高年向けのセミナーでした。この企画・運営者が、野村さんが代表を務められる「NPO法人くらしコンシェルジュ」でした。コミュニケーション論、いきがい論、男の手料理、健康管理、福祉と多岐にわたった盛りだくさんの塾でした。
野村さんがこの事業を立ち上げられたのは、ご自身の子育てのご苦労がきっかけでした。転勤族のご主人に寄り添って、熊本→東京→シンガポール→大阪→熊本と生活圏を移動された野村さんは、その間、東京でご長男、シンガポールでご次男を出産。慣れない土地での子育ては、今ほど子育てサポートの仕組みができていなかったものの、自分から踏み出せばそれに近いものに出会えた。そこから、今の事業の構想がぼんやりと見てきたんです、と。
そんな子育て生活と平行して大学時代の専攻だった栄養士の資格を活かそうと、東京で募集していた料理研究家のアシスタントにチャレンジ。この辺が野村さんの行動力です。眠っていた資質が蘇るとともに、インストラクションやコミュニケーションワークの面白さに魅かれていかれました。「熊本に帰ったら、これを絶対事業化したい」とハートに火が付きました。
野村さんはまさに「クールヘッド、ホットハート」の持ち主です。普通の人なら自分のことで一杯一杯のところを、どうせなら、なんとか同じ状況の女性たちを支援しようという発想につながるのです。こういう想像力を天賦の才というのでしょうね。有名な経営コンサルタントの言葉を借りれば「包み込みの技術」。
そして、彼女が昨年手がけたのは17事業。恐るべし、です。
野村さんが事業の構想にあたってのポイントを聞くと、「もちろん、自分が好きなこと。そして、メンバーにとって楽しめるものかです」と即答でした。2008年度は既に7つの事業案をお持ちです。さらに、現在は、親の子育て力を高め、子どもが健全に育つことを目的とする『親支援プログラムNobody's Perfect(NP)』に取り組んでおられるそうです。
目下の課題は、経営・運営の自立だと野村さんは語られます。この事業を更に広めるためには、公的な事業だけではなく、自主財源による事業が不可欠だと野村さんは考えておられます。子育て支援、女性の社会復帰の場を広く提供するために地元企業とのタイアップを進めたいと静かな闘志に燃え、熱い(厚い)投資を求めるその瞳に、筆者は一瞬、たじろぎました。
野村順子さんへのアクセス;
NPO法人くらしコンシェルジュ(愛称)くらし熊本
〒862-0924 熊本県熊本市帯山4-27-14
電話 096-387-0955 FAX 同左
E-mail:bagus@sf.kcn-tv.ne.jp
熊本県男女参画センター「チャレンジ・スタイル」
http://www.danjyo.pref.kumamoto.jp/char/style2007/06tiiki/index.htm
2008年01月29日
ご挨拶
今日から、熊本の経営者、ショップオーナーなどをインタヴュー形式で紹介する「経営者夢追いインタヴュー」を開設します。熊本で頑張るこれから注目も方々に登場してもらいますので、応援よろしくお願いします。
記念すべき第一回は、社会保険労務士の守屋尚さん(40)。守屋さんとは昨年、8/25~9/25に五回にかけて行われた商工会議所主催の「創業塾」で知り合いました。守屋さんは昨年8月に既に「もりや社会保険労務士」を開業されており、起業の先輩です。(年齢は10歳ほど年下ですが)。現在は市内でも一等地にあるマンションで事務所を開いておられます。
東京・八王子生まれで大学卒業後、大手ゼネコンに入社し、現場の原価管理、安全管理、庶務事務等、技術分野に属さないすべての事務を一手に引き受けてこられ、40歳を前に将来の更なる飛躍を求め独立を決心し一昨年退職されました。
昨今、コンプライアンス経営が叫ばれていながらも、大手企業や老舗の会社でさえ社会通念では通らない不祥事が続いています。守屋さんはこうした企業の社会的責任や従業員からの内部告発による実態の暴露によって背負うダメージを、社内の組織のあり方を事前に改善することでこうした事態から未然に防ぐ役割を担いたいと熱く語られます。
当面は50~100名規模の中小企業の社会保険等の手続き代行や人事管理制度構築を手がけたいということでした。中小企業はとにかく資金、人手、顧客不足です。経営者の優先順位はおのずと営業活動と資金繰りに注力され、この規模の会社であっても人事管理、給与体系はアバウトになりがちです。しかし、ここがしっかりしている会社は採用もしやすく、退職者も少ないことは言うまでもありません。
1962年に導入された、企業の退職金制度を企業年金契約として、主に生命保険会社もしくは信託銀行が受託して行われる「税制適格退職年金制度」(適年)がH24年に廃止されるそうですが、「九州圏では新たな退職金制度への切り替えがまだ遅れています。経営者としては退職金の問題はできれば後回しにしたいところでしょうが、こうしたものこそ早めに手を打っておくことが従業員のロイヤリティを高め、結果的に事業の発展に繋がることになる」。守屋さんはこう語ります。
同じ「士」業でも、経営者にとって税金や利益に直結することから税理士の存在は欠かせませんが、目先の利益に直結しそうにない従業員の処遇や組織づくりは後回しになる傾向が強く、社会保険労務士の存在にまで目が行きません。守屋さんの話では、社労士を活用している中小企業はおそらく三割程度ではないかということでした。
創業塾生の交流会をいち早く立ち上げた守屋さん、彼のそうした行動力と人柄は私のお墨付きです。守屋さんの当面の目標は、社労士事務所を法人化させ、数年後に別のビジネスモデルで起業することだそうです。そんな守屋さんへのお問合せは下記HPまで。
「もりや社会保険労務士事務所」
http://www.moriya-sr.net/
記念すべき第一回は、社会保険労務士の守屋尚さん(40)。守屋さんとは昨年、8/25~9/25に五回にかけて行われた商工会議所主催の「創業塾」で知り合いました。守屋さんは昨年8月に既に「もりや社会保険労務士」を開業されており、起業の先輩です。(年齢は10歳ほど年下ですが)。現在は市内でも一等地にあるマンションで事務所を開いておられます。

昨今、コンプライアンス経営が叫ばれていながらも、大手企業や老舗の会社でさえ社会通念では通らない不祥事が続いています。守屋さんはこうした企業の社会的責任や従業員からの内部告発による実態の暴露によって背負うダメージを、社内の組織のあり方を事前に改善することでこうした事態から未然に防ぐ役割を担いたいと熱く語られます。
当面は50~100名規模の中小企業の社会保険等の手続き代行や人事管理制度構築を手がけたいということでした。中小企業はとにかく資金、人手、顧客不足です。経営者の優先順位はおのずと営業活動と資金繰りに注力され、この規模の会社であっても人事管理、給与体系はアバウトになりがちです。しかし、ここがしっかりしている会社は採用もしやすく、退職者も少ないことは言うまでもありません。
1962年に導入された、企業の退職金制度を企業年金契約として、主に生命保険会社もしくは信託銀行が受託して行われる「税制適格退職年金制度」(適年)がH24年に廃止されるそうですが、「九州圏では新たな退職金制度への切り替えがまだ遅れています。経営者としては退職金の問題はできれば後回しにしたいところでしょうが、こうしたものこそ早めに手を打っておくことが従業員のロイヤリティを高め、結果的に事業の発展に繋がることになる」。守屋さんはこう語ります。
同じ「士」業でも、経営者にとって税金や利益に直結することから税理士の存在は欠かせませんが、目先の利益に直結しそうにない従業員の処遇や組織づくりは後回しになる傾向が強く、社会保険労務士の存在にまで目が行きません。守屋さんの話では、社労士を活用している中小企業はおそらく三割程度ではないかということでした。
創業塾生の交流会をいち早く立ち上げた守屋さん、彼のそうした行動力と人柄は私のお墨付きです。守屋さんの当面の目標は、社労士事務所を法人化させ、数年後に別のビジネスモデルで起業することだそうです。そんな守屋さんへのお問合せは下記HPまで。
「もりや社会保険労務士事務所」
http://www.moriya-sr.net/