2008年02月05日
絵を通してアフリカの人々を支援したい、画家・渡辺真希子(8)
第八回目のゲストは、第四回目に登場いただいた黒田恵子さんにご紹介を受けた、河原町の「africa animal Jogoo」の経営者であり画家の「ado」こと渡辺真希子さん。この「africa animal Jogoo」では、アフリカにまつわるグッズとadoさんが描いた絵、カードなどを売っています。レトロな感じのショップの佇まいにピッタリの小物たちや絵画が溢れています。adoさんは、石川県のご出身でした。

そもそも石川県出身のadoさんがなぜ熊本くんだりまで来ることになったのか、最初に疑問に思って質問しました。大学進学にあたって動物に関わる勉強、仕事がしたいと考えたadoさん。畜産学部のある大学をいろいろ探して、寒いのが苦手の彼女が選んだのが、南国・「火の国」熊本の「火山」阿蘇の麓にある九州東海大学でした。adoとasoちょっと似ていますが、熊本の特に阿蘇の冬は底冷えの寒さだとは知らずに・・・。adoさんにとっては大きな誤算でした。
まずは、adoさんがこの地にお店を構えるようになったいきさつを辿っておきましょう。とにかくadoさんを語るには、アフリカと動物がキーワード。彼女がアフリカにとりつかれたのは、小学校の高学年。この頃からアフリカに行きたくて貯金を始めたそうです。動物好きでもあった彼女は中学生になると獣医に憧れます。そして、高三のとき、ケニア初の日本人獣医師・神戸俊平さんの「動物のお医者さん」という本を友人にもらったことが彼女のDNAのスイッチをオンにしたのでした。彼女は手紙で熱烈なラブコールを送るようになります。
この動物好きが高じて畜産課(現在は農学部 応用動物科学科)に入学して早々に、adoさんの元に憧れの神戸さんから返事が届くのです。そして積もり続けた思を吐き出すような「居候させてほしい」という願いが受け入れられ、2年生の春になると神戸さんがいるケニアへ旅立つのです。Adoさんにとっては初めての海外旅行。小学生から貯めてきた資金を元手のシンガポール→ドバイ経由の旅でした。この神戸さんについては、「アフリカと神戸俊平友の会ホームページ」(http://www.s-kambevet.org/)をチェックしてみてください。

adoさんが絵を描き始めたのはこのアフリカに行ってから。マサイ族の人たちに絵を描いて渡したところ彼らに大変喜ばれたことがきっかけでした。ここで二番目のDNAのスイッチがオンに。絵については特に習ったこともなく、画家に興味があったわけではないadoさんでした。しかし、お話をうかがうと、ご本人はさほど意識しておられない様子でしたがadoさんのお父様、渡辺卓氏は実は画家でした。
(http://members2.jcom.home.ne.jp/takashi-watanabe/)
(お父様のブログ; http://totomu49.mo-blog.jp/toto/)
アフリカから帰った彼女は、大学から近い温泉地の内牧(うちのまき)にあるアジア・アフリカの雑貨を扱うショップでバイトを始めます。そこでadoさんは持て余す時間に絵を描いていました。あるときその絵を店に置いてみたところその作品が売れたのです。ここで三番目のDNAがオン。「絵で生活したい」。しかし、その思いは秘めたまま、彼女は大学を卒業すると、熊本市動植物園の嘱託職員となります。

山から下りたadoさんは、熊本市でこの河原町のプロジェクトを知り、前述の黒田恵子さんから個展を開かないかと声をかけられたことをきっかけに、ここで店を構えることを決めました。当面の彼女の目標は、まずこの商店街一体で個展をやること。adoさん所蔵の作品は、絵画で50作品、adoさんが筆を入れたTシャツが100枚、トートバッグが100個。文字通り、売るほどありますね。
そして、彼女の大きな夢は、まず自分の絵を全国の人に知ってほしいという願いと、その絵を通してアフリカの人々のための支援活動を行うこと。きっと数年後には、日本とアフリカを頻繁に行き来するadoさんの姿があるでしょう。ちなみに、「ado」の由来をうかがうと、恥ずかしそうに、「高校生の頃からアフリカ、アフリカと言っていたので、友達からアドベンチャーのアドと呼ばれるようになりました」と告白されました。

adoさんへのアクセス:
「africa animal Jogoo」
場所:熊本県熊本市河原町2
営業:11時~20時 火曜定休(イベントなどで休む場合もあります)
電話&FAX 096-323-0124
HP「アド アフリカ アート」;http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/3659/
E mail;afro_ado156@yahoo.co.jp

そもそも石川県出身のadoさんがなぜ熊本くんだりまで来ることになったのか、最初に疑問に思って質問しました。大学進学にあたって動物に関わる勉強、仕事がしたいと考えたadoさん。畜産学部のある大学をいろいろ探して、寒いのが苦手の彼女が選んだのが、南国・「火の国」熊本の「火山」阿蘇の麓にある九州東海大学でした。adoとasoちょっと似ていますが、熊本の特に阿蘇の冬は底冷えの寒さだとは知らずに・・・。adoさんにとっては大きな誤算でした。
まずは、adoさんがこの地にお店を構えるようになったいきさつを辿っておきましょう。とにかくadoさんを語るには、アフリカと動物がキーワード。彼女がアフリカにとりつかれたのは、小学校の高学年。この頃からアフリカに行きたくて貯金を始めたそうです。動物好きでもあった彼女は中学生になると獣医に憧れます。そして、高三のとき、ケニア初の日本人獣医師・神戸俊平さんの「動物のお医者さん」という本を友人にもらったことが彼女のDNAのスイッチをオンにしたのでした。彼女は手紙で熱烈なラブコールを送るようになります。


adoさんが絵を描き始めたのはこのアフリカに行ってから。マサイ族の人たちに絵を描いて渡したところ彼らに大変喜ばれたことがきっかけでした。ここで二番目のDNAのスイッチがオンに。絵については特に習ったこともなく、画家に興味があったわけではないadoさんでした。しかし、お話をうかがうと、ご本人はさほど意識しておられない様子でしたがadoさんのお父様、渡辺卓氏は実は画家でした。
(http://members2.jcom.home.ne.jp/takashi-watanabe/)
(お父様のブログ; http://totomu49.mo-blog.jp/toto/)
アフリカから帰った彼女は、大学から近い温泉地の内牧(うちのまき)にあるアジア・アフリカの雑貨を扱うショップでバイトを始めます。そこでadoさんは持て余す時間に絵を描いていました。あるときその絵を店に置いてみたところその作品が売れたのです。ここで三番目のDNAがオン。「絵で生活したい」。しかし、その思いは秘めたまま、彼女は大学を卒業すると、熊本市動植物園の嘱託職員となります。

山から下りたadoさんは、熊本市でこの河原町のプロジェクトを知り、前述の黒田恵子さんから個展を開かないかと声をかけられたことをきっかけに、ここで店を構えることを決めました。当面の彼女の目標は、まずこの商店街一体で個展をやること。adoさん所蔵の作品は、絵画で50作品、adoさんが筆を入れたTシャツが100枚、トートバッグが100個。文字通り、売るほどありますね。
そして、彼女の大きな夢は、まず自分の絵を全国の人に知ってほしいという願いと、その絵を通してアフリカの人々のための支援活動を行うこと。きっと数年後には、日本とアフリカを頻繁に行き来するadoさんの姿があるでしょう。ちなみに、「ado」の由来をうかがうと、恥ずかしそうに、「高校生の頃からアフリカ、アフリカと言っていたので、友達からアドベンチャーのアドと呼ばれるようになりました」と告白されました。

adoさんへのアクセス:
「africa animal Jogoo」
場所:熊本県熊本市河原町2
営業:11時~20時 火曜定休(イベントなどで休む場合もあります)
電話&FAX 096-323-0124
HP「アド アフリカ アート」;http://www.geocities.co.jp/Milano-Aoyama/3659/
E mail;afro_ado156@yahoo.co.jp